2011年9月30日金曜日

コウは航海の航


『山吹』
(Libra, LIBRA 203-012)
曲目:1. Sola(作詞:航、作曲:藤井/7:06)
2. 坂(作詞・作曲:航/4:46)
3. マド(作詞・作曲:航/3:32)
4. Untitled(作詞:田村夏樹、作曲:藤井郷子/3:43)
5. 春よこい(作詞:相馬御風、作曲:弘田龍太郎/3:41)
6. 月の砂漠(作詞:加藤まさお、作曲:佐々木すぐる/6:57)
7. Pakonya(作詞:田村、作曲:藤井/5:33)
8. あぜ道(作詞・作曲:航/4:37)
9. 白磁白砂(作詞:航、作曲:藤井/4:34)
10. 夏の樹(作詞・作曲:航/1:42)
11. はじめてのデート(作詞:田村、作曲:藤井/3:12)
演奏:航(vo, p)
藤井郷子(p)
テッド・ライクマン(acc)
録音:2004年11月29日
場所:System Two, New Tork
エンジニア:Rich Lamb
解説:松尾史朗
発売:2005年10月23日



♬♬♬



 “航(こう)” という変わったアーチスト名を持つ彼女は、東京のライヴハウス “アピア” などで、ピアノの弾き語りを聴かせる新進気鋭の女性歌手。「心の海に船を出し、音楽の島を旅する」イメージから、航海の「航」の字を取って名前にしたという。

 クラシック・ピアノは、お稽古ごととして子供の頃から習っていたが、歌うことに目覚めたのは、一橋大学に通っていた19歳のとき。その後、国立音大のリトミック科に再入学、卒業してからいくつかのバンドにヴォーカリストとして参加するうち、藤井郷子(p)と知りあうことになる。本盤がリリースされた2005年は、国際音楽療法専門学院で音楽療法を学んでいた。これまでのところ、2002年にCD-Rで製作した私家版のアルバム『春秋歌集』をライヴで手売りしてきたくらいで、今回藤井がプロデュースした『山吹』が、実質的なデビュー作になる、というのがおおざっぱな経歴だ。

 アルバムに収録されたのは、「坂」「マド」「あぜ道」「夏の樹」など、航のオリジナル曲4曲の他に、航の詞に藤井が曲をつけた「白磁白湯」、藤井の曲に航が詞をつけた「Sola」、藤井郷子オーケストラでお馴染みの曲に田村が詞をつけた「Untitled」「Pakonya」、田村/藤井が航に書き下ろした「はじめてのデート」、そして童謡「春よこい」「月の砂漠」など全11曲。2004年11月26日ニューヨーク録音。

 藤井郷子の他にテッド・ライクマン(acc)が伴奏を務めている。ライクマンのアコーディオン伴奏は、普通にダンス・リズムを刻むようなものではなく、まるで笙のようにサウンドをゆらゆらと漂わせるユニークなものとなっている。ライナーノートは松尾史朗が担当した。

 航は、言葉にソウルフルな情感を乗せて歌っている。ソウルフルなのではあるが、ビブラートを多用して感情の襞まで歌いこんだりせず、むしろ対象を突き放すストレートな歌い方をしている。航ならではの声の硬質さが、人生のある瞬間を結晶させた歌の情景に、さわやかな叙情性を与えている。静かな情景のどこかに魂が揺曳している感覚といったらいいだろうか。アジアのソウルフルといったらいいだろうか。

 本盤では際立っていないが、彼女はおそらく独特な語り歌のスタイルも持っていると思う。というのも、「Pakonya」の中間部に、『平家物語』の冒頭を即興的に読む場面が登場するのだが、航はそこで異能のひと三橋美香子の説話歌を思わせる情念的な語りを披露しているからだ。物語性をそなえた歌は、田村が作詞したへなぶり歌「はじめてのデート」だけなので、はっきりとは言えないのだが、航にあって、ソウルフルな情景描写と情念的な語りは背中合わせの関係になっているのではないだろうか。

 突き放した叙情性を歌うことのできる声の硬質さ。歌に言葉や声を自由に挟みこんだり、言葉よりも響きの魅力によって歌を進めたりする、サウンドに対する耳のよさ。メロディー・フェイクの才能。経験のない即興的展開にも動じることのない度胸。航のそんなところに、藤井郷子は魅力を感じたのだろう。

 航の歌の世界はまっぷたつに割れ、こちらがわ、自分が立っている足元は影になって暗く、あちらがわ、彼方に見える風景は強い陽光を浴びてまぶしく輝いている。ふたつの世界の間にあるのはよもつひらさか。黄泉平坂。現世と黄泉との境にあると想像される坂。あるいは厚い壁に厚いガラスのはまった窓。あるいはコンクリート雲の壁。坂道を犬のようにはい登り、厚いガラスを割り、そそり立つ壁を突き崩そうとする強い衝動が、航の歌の源泉となっている。

 現世と黄泉の世界に象徴されるふたつの世界は、しかし決して神話的なものではなく、おそらく実際の声のふるまいを投影したものだろう。すなわち、「情景」から「物語」へと架かる橋の真ん中で、航(の声)はたたずんでいる。歌のなかで情景が動きだし、物語が始まれば、航は橋を渡り切ったということになるだろう。声は動きたがっている。しかし航そのひとは果たして自分がこの橋を渡り切れるかどうか危うんでいる。橋のうえ、あるいは坂道に立つ彼女は、さなぎが蝶になるような変態期にあるのだろうか。藤井郷子が航と出会い、その歌や声と関わることで新たな変態期を迎えようとしていることと、それはどこかで共振する出来事だったに違いない。


[初出:mixi 2005-10-23「コウは航海の航」/加筆修正のうえ再掲載]

-------------------------------------------------------------------------------

■ Koya Records[航] http://koh.main.jp/main.html
 

2011年9月29日木曜日

航:Do-Chū




『Do-Chū』
(Koya, KOYA108001)
 曲目:1. 窓(7:57) 2. 稜線(6:16) 3. 山頭火*(5:49)
4. 朝の匂い(4:51) 5. GARE(12:01) 6. 6variation?(3:19)
7. diaphanous veil(5:34) 8. つきみちる(5:38)
9. 道標(7:45)
 *テクスト:種田山頭火
 演奏:航(vo, p, keyb)
    田村夏樹(tp) 植村昌弘(ds) 公文南光(cello)
 録音:2009年4月13日、5月16日(「朝の匂い」のみ)
 場所:東京/池袋「Studio Dede」、東京/吉祥寺「GOK Sound」
 解説:沼田順
 発売:2010年6月1日


♬♬♬


 藤井郷子がプロデュースした前作『山吹』(2005年)から5年、シンガー・ソングライター “航”(こう)のセカンド・アルバム『Do-Chū』が、彼女自身のレーベル Koya からリリースされる。歌詞を越えて自由に動きだす(即興ヴォイスという意味ではない)声につき従っていくことで切り開かれた、オリジナルな世界が刻みこまれた一枚。

 本盤に収録された楽曲は、歌に与えられたいくつかの声によって、大きく三つに分けることができるだろう。ひとつは、キリのように硬く先の尖った声の文体を作って歌われる歌謡群で、航が敬愛する藤井郷子の音楽性に通じている。変拍子やパーカッシヴなピアノの打鍵、さらに歌詞のサウンド化といった歌唱法の採用は、いずれも航の声のパッショネートな部分を倍加するものとなっている。ベーシストを置かず、植村昌弘とのデュオで強烈なグルーヴ感を出してみせた「窓」(この曲のみならず、アグレッシヴな航のピアノは藤井を連想させて聴きもの)、「分け入っても 分け入っても 青い山」という一句で有名な種田山頭火の俳句にメロディーをつけた「山頭火」、田村夏樹のトランペットとバトルを展開した「GARE」、シンセ・オルガンで弾奏される5拍子の言葉遊び歌「6variation?」、ふたたび植村とのデュオで演奏される疾走感にあふれた「つきみちる」など5曲。なかでも、すべての所有物を捨てた場所から見えてくる、憑きものの落ちた世界をうたった山頭火の俳句が、まったく貧乏くさくなく、こんなに激しく、モダンに表現できるというのは予想外だった。

 一方、シンセ・オルガンの響きが声を包みこんで、まるで聴き手の周囲の空気までもがどんどん澄んでいくような、天上的な世界を垣間見させてくれる一群の曲がある。これらの楽曲において、声はひとりごとのようにつぶやかれ、一転して自分の心の内側を照らし出すカンテラとなる。単語の羅列が歌詞になっていく「稜線」では、田村夏樹がトランペットを声化してこの聖域に挑戦しているし、広々とした空間を広げてみせるピアノのバラード弾奏が魅力的な「朝の匂い」では、チェロの美しいメロディーがゆったりとした時間に寄り添っている。そしてどうやら天女の羽衣のことを歌ったらしい幻想的な曲「diaphanous veil」(「透明なヴェール」の意味)では、声はただシンセ・オルガンの桃源郷のなかに漂って、まるでそれそのものが透明なヴェールでできているかのよう。はかなく、美しく響いている。

 これらは通常、スリリングな曲とバラードというような楽曲の特徴から対比されるものだが、航においては、別々の世界を示すふたつの声が聴き手に垣間見させるふたつのヴィジョンというものになっている。そこにもうひとつの声が加わる。

 アルバムの最後に収録された楽曲「道標」は、曽野綾子のエッセイ集『誰のために愛するか』(1970年)のテクストに作曲をほどこしたもの。坦々としたピアノ弾き語りで、静かなクライマックスを迎える印象的な演奏となっている。楽曲では「全てのものに時があり」ということを、愛別離苦において歌っていくのだが、ここで示された世離れた宿命観/諦観は、おそらく後者の声の系譜の延長線上に出現したのではないかと想像される。曽野綾子のテクストが求められたのは、それがやはり航自身の言葉ではジャンプしきれない場所にある想念だからだろう。届かない場所にある言葉に声が届く。しかし、それにしても、声だけがどうしてそこに行くことができるのだろうか? 当たり前のようでいて、とても不思議な出来事のように思う。


[初出:mixi 2010-04-06「航:Do-Chū」]

-------------------------------------------------------------------------------

■ Koya Records[航] http://koh.main.jp/main.html
 

2011年9月28日水曜日

『Do-Chu』発売記念ライヴと小窓ノ王

植村昌弘

小窓ノ王
 ──航2ndアルバム『Do-Chu』リリース記念イベント──
 日時:2010年6月7日(月)
 会場:東京/吉祥寺「MANDA-LA 2」
  (東京都武蔵野市吉祥寺南町2-8-6)
 開場:p.m.6:30、開演:p.m.7:30
 料金:¥2,500+order
 出演:[1]辻隼人(vo, p)
 [2]FIRST MEETING:田村夏樹(tp)、藤井郷子(p)
    ケリー・チュルコ(g)、山本達久(ds)
    飛び入りゲスト:ティム・ゴッドワイアー(as)
 [3]小窓ノ王:航(vo, p)、植村昌弘(ds)
    特別ゲスト:田村夏樹(tp)
 予約・問合せ:TEL.0422-42-1579(MANDA-LA 2)


♬♬♬


 シンガー・ソングライター “航”(こう)のセカンド『Do-Chu』の発売記念ライヴが、ピアノ弾き語りの辻隼人や、田村夏樹/藤井郷子の “ファースト・ミーティング” との対バン形式でおこなわれた。会場は吉祥寺の老舗ライヴハウス MANDA-LA2。

 「鬼殺し」「エリーゼのくせに」「黒髪と沈黙」といったオリジナル曲を歌った辻隼人は、怪鳥の雄叫びを思わせる濁った長い叫びによる感情爆発と、どこかダークな色彩感覚をもった楽曲の組みあわせが印象的なピアノ弾き語りを聴かせた。またオーストラリアから来日中のアルトサックス奏者ティム・ゴッドワイアーを飛び入りゲストに迎え、文字通りのファースト・ミーティングとなったセットでフリー・フォームの完全即興をした田村/藤井のセットは、最初から最後まで、終着点のない激しい音のぶつかりあいになった。

 これら対照的なふたつの演奏の後、トリでステージに立った航は、植村昌弘と組んでいるユニット “小窓ノ王” で新作アルバムに収録されているオリジナル曲を中心に演奏、「GARE」とアンコールの「月の砂漠」の二曲で田村夏樹をゲストに迎え、きっちりとした音楽の輪郭が見える、落ち着いた演奏を披露した。

 小窓ノ王で演奏されたこの二曲においては、田村夏樹の明快なトランペット演奏によるアグレッシヴなソロが、ピアノやドラムを大きくゆり動かし、アンサンブルはよりダイナミックなものとなって、航の音楽世界をさらに大きなものへと押し広げていた。航が、自分の音楽に欠くべからざるものとしている即興演奏によって求めるものは、とてもシンプルでストレートなものだ。それをコンセプチュアルである以上に身体的なもの、自己表現である以上に対話的なものというならば、航の音楽は田村夏樹のそれととてもよく響きあう性格のものであり、ある意味において、ファースト・ミーティングの完全即興よりも、田村の音楽性を引き出す恰好の音楽環境を提供することになっていた。即興演奏にむかうときの初発の動機が、航のなかにきちんとあることが、すべての響きのあらわれをクリアーに聴かせることにつながっているのだろう。ファースト・ミーティングが狙うところも、おそらく本来はそのような即興演奏に対する初発の、原初的な動機を再獲得するところにあるはずだと思われるのだが、にもかかわらず、この晩のライヴに関しては、サウンドの衝突がメンバー間の並行関係を変えることなく最後までつづいていたように感じられた。

 ライヴハウスに置いてある未調整のピアノは、すべてのピアニストの悩みの種であるが、それでも濁ったサウンドのすきまから、航のピアノ弾奏が、リズムやフレーズのパターンより、弦の響きそのものに焦点をあてて生みだされていることがよくわかった。航のピアノ演奏にあっては、あたかも響きのひとつひとつが個性をもつかのように弾かれるといったらいいだろうか。

 このことは、言葉を運ぶ彼女の声の作られ方にも通底していて、彼女の表現にあっては、木目を生かした彫り物細工のような、あるいは江戸切子細工のような、細部をゆるがせにしない職人の感覚を随所で感じとることになる。“小窓ノ王” の盟友である植村昌弘は、こうした航のセンスを生かすのに最適の人選だと思われる。この晩のCDリリース記念ライヴでは、オルガン・サウンドが使われなかったため、残念ながら、別の系譜をなすと思われる航のもうひとつの声を聴くことができなかった。ワンマン・ライヴなどでぜひ聴かせてほしい航の音楽の魅力的な一面である。




[初出:mixi 2010-06-08「小窓ノ王」|本稿は、2010年6月7日におこなわれた航のセカンド・アルバム『Do-Chu』リリース記念イベントを、過去にライヴレポートしたものの転載です。2009年から活動をスタートさせたユニット “小窓ノ王” のファーストCDがリリースされたのにあわせ、タイトル変更のうえ再掲載しました。写真はいずれもミュージシャンから提供されたものです。]

-------------------------------------------------------------------------------

■ Koya Records[航] http://koh.main.jp/main.html
 



2011年9月27日火曜日

小窓ノ王:Tension



小窓ノ王
 『TENSION』
(Koya Records, KOYA-108002)
 曲目:1. 独標 Doppyou(8:10) 2. 蜘蛛と花 A Spider and a Flower(4:30)
3. 坂 Slope(5:06) 4. オコジョ Ermine(5:48) 5. あぜ道 Footpath(7:22)
6. 足跡 Footprints(5:59) 7. Shichi Seven(8:07)
8. ペテン師△#18  A Swindler△#18(4:03)*Bonus Track
 演奏:航(p, vo)、植村昌弘(ds)
 録音:2010年9月25日
 場所:東京/池袋「Studio Dede」
エンジニア:松下真也
美術 デザイン:モモチョッキリ
 発売:2011年8月1日


♬♬♬


[小窓ノ王は]立ち入り禁止地区にあるピークなので、そこで遭難しても誰も助けにきてくれないような所なんです。だけどものすごく綺麗な所で。このユニットは私にとって、そういう、行きたいけどなかなか行けない、見たいけどめったに見れない、だからこそ素晴らしいものが待ってる場所なんですよね。そしてそこには、残念ながら自分一人では絶対に行けないんです。
(小窓ノ王『Tension』ライナーノートから)

 ユニット名の由来となった北アルプスの剣岳にある懸崖について、シンガー・ソングライターの航は、こんなふうに述べている。声がピアノに触発され、ピアノが声に触発されるという、どちらがどちらとも切り離すことのできない密接な関係、意味と音が離れたりくっついたりして聴き手を迷路に迷わせる言葉の遊戯性、声がもたらすイマジネーションの即興的な飛躍や逸脱、あるいは容赦のない切断、ミニマルな音への執着──神は細部に宿る? というにしては、ふたりでもあわせることがむずかしい音のサイズや間尺を(もちろん猛練習のすえに)ピタリとあわせ、まるでわざとのように懸崖をわたっていこうとするライヴな登山家の冒険心(だって、そこに山があるからさ)、準備万端をととのえた登山はいつも成功し、もたらされた達成感は大きい。

 そこは、ものすごく綺麗な所。自由奔放に大空を飛びまわる航のヴォイスが、大地から生まれた草木のような、農作物のような歌を歌うのではなく、孤独で、遠い懸崖に反射するこだまのような趣きをそなえているのは、偶然ではない。大地に縛られてきたジャズやワールド・ミュージックにはなかった清冽な解放感──それが航のもっているヴォイスの本質であり、サウンドの細部を描き出すのに、精妙な色あいを正確無比に塗りわけていくことのできる植村昌弘と結成したデュオ「小窓ノ王」が描き出す世界なのではないだろうか。

 航のヴォイスをノマドの声と呼び、小窓ノ王の演奏をノマドの音楽と呼んでみたい。おなじノマド(遊牧民)といっても、こちらはモンゴルの大草原をゆくノマドではなく、北アルプス連峰を跋扈する天狗、山伏の類がイメージされることが、特徴的といえるだろうか。小窓ノ王の音楽は、ミクロなサウンドに執着する植村の求心性だけでなく、もっと大きな「行きたいけどなかなか行けない」場所、「見たいけどめったに見れない」風景、「素晴らしいものが待ってる場所」など、「ものすごく綺麗な所」にどうしても感応せずにはいられない航のヴィジョンによって貫かれている。地上を離れ、少しずつ神の領域へと近づいていくその場所では、なにが起こっても不思議ではない。じつは、音楽のすべては、航のこの感応力に導かれて進んでいるのである。聴き手は、あなたは、途中でこの登山を降りることはできない。

 歌の系譜、声の系譜のことを持ち出していうなら、彼女は一時期ジャズに接近していた矢野顕子の後に出現した個性であり、そこで達成されたすべてのことを自家薬籠中のものにした表現者と言えるのではないかと思う。もし両者に違いがあるとしたら、矢野顕子がつねに日常性のなかから声を発していたのにくらべ、航は日常性を越えた彼方にそびえたって見える「小窓ノ王」に声を投げかけつづけているということだろう。



北アルプスの剣岳にある懸崖「小窓ノ王」

-------------------------------------------------------------------------------

■ Koya Records[航] http://koh.main.jp/main.html
 

2011年9月26日月曜日

ESP(本)応援祭 第十回

レコード演奏中の泉秀樹氏と渡邊未帆氏

 9月25日(日)、1960年代のジャズの大転換期に起こった出来事を、ESPレーベルに残された音源を中心に、ミュージシャンの演奏歴を基軸に置きながら、さまざまな文献からひろわれたエピソードの数々などにも触れつつ、実際の音で、聴き手ひとりひとりの耳で、再確認していくという吉祥寺ズミのシリーズ講演<ESP(本)応援祭>の第十回が開催された。渡邊未帆が主催し、泉秀樹がメイン講師を務める本シリーズは、いわばニュージャズの歴史を共有財産とする音楽コモンズを形成するような作業といえるだろうか。

 今回のテーマは「サックス奏者特集」で、アルバート・アイラー(第一回)、フランク・ロウ(第四回)、オーネット・コールマン(第五回)、バイロン・アレン(第五回)といった、これまでに本講座で紹介してきたサックス奏者以外に、ESPレーベルに足跡を残すサックス奏者を次回と2回にわけて特集する。パート1では、ファラオ・サンダース、ジュゼッピ・ローガン、マリオン・ブラウン、チャールス・タイラーを、パート2では、フランク・ライト、ノア・ハワード、マルゼル・ワッツ、ガトー・バルビエリが扱われる予定。

 パート1でかけられたアルバムは以下の通り。

(1)Don Cherry『Don Cherry Unreleased Studio Session 1963-1971』
(Headless Hawk, 1964年1月録音)
(2)Sun Ra『Featuring Pharoah Sanders And Black Harold』
(Saturn, 1964年12月31日録音「12月の4日間」)
(3)Pharoah Sanders『Pharoah Sanders Quintet』
(ESP-1003, 1964年9月20日録音)
(4)Ornette Coleman『Chappaqua Suite』(CBS, 1965年6月15-17日録音)
(5)Marion Brown『Marion Brown Quartet』(ESP-1022, 1965年11月録音)
(6)Burton Greene『Burton Greene Quartet』
(ESP-1024, 1965年12月18日録音)
(7)Marion Brown『Port Novo』(英Polydor, 1967年12月14日録音)
(8)Giuseppi Logan『The Giuseppi Logan Quartet』
(ESP-1007, 1964年10月5日録音)
(9)Patty Waters『College Tour』(ESP-1055, 1966年4月録音)
(10)Charles Tyler『Charles Tyler Ensemble』
(ESP-1029, 1966年2月4日録音)
(11)Charles Tyler『Eastern Man Alone』(ESP-1059, 1967年1月2日録音)

 数年前、長らく消息のしれなかった幻の演奏家で、死亡説まで流れていたジュゼッピ・ローガンが、ホームレス生活をしていたことが発見され、周囲のあたたかな応援によりジャズ界に復帰したことは、記憶に新しいところである。『スウィングジャーナル』誌(2009年9月号)に、「ジャズ版『路上のソリスト』か!? 幻のサックス奏者ジュゼッピ・ローガン 喪失の40年」というレポート記事まで掲載されることになった。

 シリーズ講演を通して、1960年代のジャズが持っていたインターナショナリズムを最大限に評価する視点から、本講演でも、アメリカとヨーロッパの媒介者となったマリオン・ブラウンなどが、最重要の演奏家のひとりにあげられた。

60年代中期、米欧交流の役割を担った人物を挙げると、一人は As ジョン・チカイ、もう一人は Tp ドン・チェリー、それに Vib カール・ベルガーと、As マリオン・ブラウン、Ds スティーヴ・マッコールで5人。…その後の、Pf ポール&Pf カーラ・ブレイ、Ss スティーヴ・レイシーを挙げて8人。少し角度の違うところでは北欧に数年滞在したジョージ・ラッセルが果たした役割も大きく、そこにラッセル門下生 Bass バール・フィリップスを加えると計10人。枚挙の暇はないが数多いミュージシャンの往来があって豊かな自由音楽が醸成されていった。Voice の詩人ジャンヌ・リーもいた。 
(当日配布されたレジュメから)

 <ESP(本)応援祭>の一連の講義が、ESPレーベルの本質を、あるいは当時ニュージャズと呼ばれることになった音楽の本質をどこに見ているかが、詳細なデータの裏づけをもって語られていることがわかるだろう。

 おなじインターナショナリズムの視点に立ち、これは未発表のままだが、やはりこの時期に、多国籍のメンバーが一堂に会することになった重要な結節点の音楽祭に、西ドイツでジャズ評論家ヨアヒム・ベーレントが企画していた「バーデン・バーデン・フリージャズ・ミーティング」(1967年12月16日-18日)があるという指摘がおこなわれた。参考までに参加者のデータをあげると、【アメリカ】ドン・チェリー、マリオン・ブラウン、バール・フィリップス、ジャンヌ・リー、【ドイツ】アルベルト・マンゲルスドルフ、ギュンター・ハンペル、マンフレート・ショーフ、ペーター・ブロッツマン、ペーター・コヴァルト、ブッチ・ニーベルガル、【スウェーデン】スヴェン・オキ・ヨハンソン、【フランス】フランソワ・テュスク、【ベルギー】フレッド・ヴァン・ホーヴ、【オランダ】ピエール・クールボワ、【イギリス】ジョン・スティーブンス、エヴァン・パーカーなど、錚々たるミュージシャンたちが顔を揃えている。
























-------------------------------------------------------------------------------

■ sound café dzumi http://www.dzumi.jp
 

2011年9月24日土曜日

ESP(本)応援祭 第九回

本講座の講師である泉秀樹氏とイベント主催者の渡邊未帆氏

 8月21日(日)、吉祥寺サウンド・カフェ・ズミにて、“ニューヨーク・アート・カルテット”(以下NYA4)の出自とその周辺を紹介する<ESP(本)応援祭>の第九回が開催された。1964年11月に録音されたESP盤は、リロイ・ジョーンズの詩朗読「ブラック・ダダ・ニヒリズムス」(講座では詩人の書いたテクストも配布された)で有名になったが、それだけにとどまらず、グループに合流した各メンバーの来歴をたどっていくと、セシル・テイラーを先駆者とする活動のなかから登場してきたラズウェル・ラッドやジョン・チカイら、またNYA4の前身であるニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴに参加していたドン・チェリーが、オーネット・コールマンを中心とする音楽サークルを支えたキーパーソンだったことなど、初期フリージャズの二大潮流をめぐる動向を大きくつかむことができる。

 当日かけられたアルバムは以下の通り。

(1)Jörgen Leth Quintet「Blue Monk」,『Jazz Jamboree 62』(1962年)
(2)Gil Evans『Into The Hot』(Impulse, 1961年10月10日)
(3)R.Rudd - S.Lacy - H.Grimes - D.Charles『School Days』
        (Emanem 3316, 1963年3月)
(4)D.Cherry - A.Shepp - J.Tchicai - D.Moses『New York Contemporary 5』
        (Sonet, SLP36, 1963年11月15日)
(5)R.Rudd - J.Tchicai - L.Worrell - M.Graves - Amiri Baraka
        『New York Art Quartet』(ESP, ESP-1004, 1964年11月26日)
(6)R.Rudd - J.Tchicai - R.Workman - M.Graves『Mohawk』
        (Fontana, 1965年6月16日or7月16日)
(7)ラズウェル・ラッド『Roswell Rudd』(America30, 1965年11月2日)
         ※リリースされたのは1970年-1971年頃。
(8)R.Rudd - J.Tchicai - R.Workman - M.Graves - Amiri Baraka
        『35th Reunion』(DIW, DIW-936, 1999年6月)

 ラズウェル・ラッド初期の演奏を、セシル・テイラー紹介盤でもあったギル・エヴァンスの『イントゥ・ザ・ホット』で、またデンマーク出身のジョン・チカイ初期の演奏を、ワルシャワのジャズ祭にヨルゲン・レトのコンボで出演したときの録音で聴くなど、NYA4の前身であるニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴはもちろんのこと、1960年代の音楽の流れを世界的な規模でつかむような録音がそろえられた。

 このようにして一連の流れのなかにESP盤を置いてみると、NYA4へのミルフォード・グレイヴスの参加が、どれほどシーンを活性化することになったかが、手に取るように実感される。次回、記念すべき<ESP(本)応援祭>10回目の講演は、9月25日(日)に開催される。テーマは「サックス奏者特集 Part 1」。
























-------------------------------------------------------------------------------

■ 2011年9月25日(日)4:00p.m.〜 於 吉祥寺サウンド・カフェ・ズミ
【ESP(本)応援祭 第10回「サックス奏者特集 Part 1」】
 

サン・ラについて(泉 秀樹)

泉 秀樹(©Elena Tutatchikova)


 毎回冒頭でお話しておりますが、今年の2月から開始しましたESP(本)応援祭なるイベント企画は…ESP-DISKに関する書籍を作りたいというプロジェクトに協力(当初はジャケ写)させていただいている関係で “せっかく作るなら良い本を上梓していただきたい” という老婆心と “論考を記載するなら、思い込みで記載するのではなく、よく聴き直し、ミュージシャンの演奏歴に触れるならわかっている範囲で事実確認はとりましょうよ” というおせっかいから音源提供とガイド役を不肖わたくしが…ということではじめました。 

 で、サン・ラ。

 イベントでは入りやすいお話からはじめました。 

 現在、普通に手に入る最初期の音源はヴァイオリン奏者スッタフ・スミスとサン・ラのDuo音源で曲は「Deep Purple」(1948〜49年ころの録音と言われており、まだアーケストラは組織されていない)、サン・ラのラスト・レコーディング「A Trbute to Stuff Smith」でも同曲を採用しており偶然にしては出来すぎだな(92年録音。ちなみにリーダーは今年亡くなったビリー・バング)と、この話をプロローグとしました。 

 ほかの所謂FreeJazzミュージシャンとは世代的にも別で…なにしろ1914年生まれ、故郷アラバマで10年(22歳から32歳)ソニー・ブラウント・オーケストラ(スイングバンド)など、作曲アレンジャーとしても活躍。シカゴ時代以降は知られる通りで(32歳から47歳まで15年)、苦労の末 仲間とNewYoyrkへ出てきたのが1961年(47歳)。 

 サン・ラのESP-DISK(LPで3枚65年、66年録音)の頃までは、電気楽器や電子楽器が充分使えなかった…アコースティック楽器で電子楽器風の音を出してみたい、という時期で、もちろん電子楽器もどきのチャレンジはしていたが…60年代末に登場するシンセなどを扱う時期との違いをお話したと思います。 

 時代を考えても、この「電子楽器が充分使えなかった時期」ということが(私は)重要に思っております。 

 その後、ESP-DISKのリリースが功を奏したか世界的な認知・評価を得、69年にはニューポートジャズ祭にも出演(客席音源が21世紀になってCD化)。70年にはフェスティヴァル招聘により初渡欧。…以下略。 

 当時名アレンジャーといわれるギル・エヴァンスやジョージ・ラッセルの諸作・音源と聴き比べましてもその特異な(創造的な)地位はゆるぎないものであり、ジャンルを超えて音楽界に多大な影響を与えていったと思います。 

 サン・ラに関しましては21世紀の現在まで未発表音源や映像が続々リリースされ、研究者にとって深耕するに、またとないアーチストになっております。さらなる探究が待たれる表現者! それがSun Ra!




[泉秀樹氏に寄せていただいた本稿は、mixiに講座のレポート記事を掲載した際、報告ではなく、執筆者の個人的なサン・ラー観を披瀝する場になってしまったため、補足の意味で紙上再演していただいたテクストを、多少手直しのうえ転載させていただいたものです。]

-------------------------------------------------------------------------------

■ sound café dzumi http://www.dzumi.jp/
 

ESP(本)応援祭 第八回

本講座の講師である泉秀樹氏とイベント主催者の渡邊未帆氏

 7月25日に開催された吉祥寺ズミのシリーズ講演「ESP(本)応援祭」の第八回は、大御所サン・ラーの特集だった。ESP で知名度を高めることになったサン・ラーは、自分で録音機を所有し、ステージ・パフォーマンスはもちろんのこと、御大の説教が長々とくりひろげられるリハーサルの記録を録りつづけ、さらには録音機を操作してエレクトリックな響きの変調まで試みるようなメディア人間だった。

 テープに残される音響に深く執着した結果、サン・ラーの独立レーベル “サターン” その他のレコード会社からリリースされたタイトルは、なんと数百の単位にのぼることとなり、その奇矯な言動ともあいまって、サン・ラーの活動の全貌をつかむには、いまだあまりに謎があふれているといった状態になっている。「ESP(本)応援祭」では、最初期の録音からESP時代までを概観するという紹介的なものにとどめられた。

 かけられたアルバムは、以下の通り。

(1)『Sun Ra and his Arkestra featuring Stuff Smith』(Saturn, 1953年)
(2)ビリー・バング『A Tribute to Stuff Smith』(Soul Note, 1992年9月)
(3)サン・ラー『Jazz by Sun Ra』(Transition, 1956年7月)
(4)サン・ラー『Angels & Demons at Play』
                    (Saturn, 1956年2月/1960年6月)
(5)サン・ラー『The Futuristic Sounds of Sun Ra』(Savoy、1961年10月)
(6)サン・ラー『Featuring Pharoaoh Sanders anf Black Harald』
                    (Saturn, 1964年12月)
(7)サン・ラー『The Heliocentric Worlds of Sun Ra Volume 1』
                    (ESP 1014, 1965年4月)
(8)サン・ラー『The Magic City』(Saturn, 1965年9月)
(9)サン・ラー『The Heliocentric Worlds of Sun Ra Volume 2』
                    (ESP 1017, 1965年11月)
(10)V.A.『Batman And Bobin』(1966年)
(11)サン・ラー『Nothing Is...』(ESP 1045、1966年5月)
(12)サン・ラー『Strange Strings』(Saturn、1966年)
(13)サン・ラー『Monorails and Satellites』(Saturn、1966年)
(14)サン・ラー『Atlantis』(Saturn、1967年-68年)
(15)リロイ・ジョーンズ『A Black Mass』(Jihad、1968年)

 前半の中心になったのは、サン・ラーの使用した数々の電気楽器群で、これはモンド風味を加味したキッチュな宇宙サウンドが簡単に作りだせるという利点もあるが、それ以上に、これまで演奏したことのない楽器を(練習なしで)演奏するところに、新たな音のフェイズを発見するというビジョンを持っていたサン・ラーが、アーケストラのメンバーにこの課題を課すだけでなく、彼自身をもまっさらで演奏に取り組まざるをえなくなる場所に追いこむために、採用されていたもののようである。

 ジャズや即興演奏に使われる習慣のなかった数々の電気楽器群は、ジャズそのものを大きく異化することになったが、それは、当時よくいわれた「音楽革命」というより、サン・ラーの音楽的嗜癖の結果だったといえるだろう。一大産業に成長しつつあったロック音楽という歴史的背景も一方にあり、マイルス・デイヴィスにせよオーネット・コールマンにせよ、一度は対決を余儀なくされた電化サウンドに、サン・ラーは、最も早い時期に、人一倍の好奇心をもって接近し、彼ならではの演奏原理に従って、楽器を個性化したと評価できるように思う。

 サン・ラーがサン・ラーであるゆえんは、マイルスやオーネットのように、電化サウンドを固有の美学のなかでコントロールしようとしたところにはなく、ジャズであれ黒人歌謡であれ、前衛音楽であれ伝統音楽であれ、それがこれまで所属していた文脈を切断し、サン・ラー・ワールドへの再統合を試みることによって、いまだ見ぬものの方向(この世のものではない、無限遠点に輝いて見える星座群の世界)へと限りなく解体させていくツールとして使用したところにある。

 それを実現させることになったのは、楽曲という構造的なものへの注目ではなく、サン・ラーならではの──それもまた「個性」というなら「個性」といえるような特徴をもつ──サウンドそのものへの(淫微な)嗜癖だったのではないかと思われる。活動の最初期はともかく、もともと音楽的なるものをコンパクトな楽曲にまとめるという発想がないために、演奏は必然的に長いものとなり(あるいは断片の集積となり)、録音機はつねに回転している状態となり、聴いているものも、いったいどこを聴いたらいいのか路頭に迷うこととなる。

 講義の後半の中心になったのは、こうしたサン・ラーの活動が必然的に導き出す演奏の多焦点性であった。ストリングスと共演した『Strange Strings』、極めてオーソドックスなピアノ・ソロが収録されている『Monorails and Satellites』、オラトゥンジが創設した文化センターで荒々しいキーボード演奏を展開した『Atlantis』、そして黒人運動とジャズを結びつける理論的支柱だったリロイ・ジョーンズの戯曲作品『黒人大衆』の劇伴など、本来なら、どれもが熟読玩味を要する内容のものだが、時間の制約から、大急ぎでその一端を聴くにとどまった。

 講義の最後に、講師の泉氏は、サン・ラーのエジプト・ツアーについて触れ、これが前期サン・ラーの転機になったのではないかと述べた。まことに研究すべき課題は多いというべきだろう。■
























[初出:mixi 2011-07-25「ESP(本)応援祭 第八回」]

-------------------------------------------------------------------------------

■ sound café dzumi http://www.dzumi.jp/