2011年9月19日月曜日

高柳昌行:メタ・インプロヴィゼイション


高柳昌行
『メタ・インプロヴィゼイション』
 "Meta Improvisation" Hokkaido Tour November 21〜28, 1984
(Jinya Disc, B-26)
 曲目:1. 釧路1- 1984年11月21日「This Is」(27:17)
 2. 北見 - Mass Projection - 1984年11月23日「This Is」(11:17)
 3. 釧路3- 1984年11月21日「This Is」(5:35)
 4. 帯広2- 1984年11月25日「帯広市図書館」(13:12)
 5. 函館2- 1984年11月28日「Bop」(6:09)
 6. 函館4- 1984年11月28日「Bop」(4:14)
 7. 帯広3- 1984年11月25日「帯広市図書館」(7:20)
 演奏:高柳昌行(g, etc.)
 録音:1984年11月21日-25日 エンジニア:大友良英
 場所:北海道/北見、釧路、帯広、函館
 解説:副島輝人、大友良英
 デザイン:佐々木暁
 発売:2011年7月27日


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 みずからの出発点にあったモダンジャズを探究しながら、生涯を通して、くりかえし前人未到のサウンド領域にジャンプしつづけた稀有なギタリスト高柳昌行の軌跡を、歴史的録音のシリーズでリリースするジンヤ・ディスクの新譜は、ニュー・ディレクション・ユニットを中心グループとして掘り進められたフリージャズの集団即興から、様々な音響ガジェットをつなぎあわせて作りあげたオリジナルのノイズ機械によるヘヴィー・ノイジック・インプロヴィゼーションへと移行する最晩年の転換期に、ジャズ評論家である副島輝人のプロデュースで敢行した北海道ツアーの模様を収録した『メタ・インプロヴィゼイション』である。最晩年のジャンプがなぜおこなわれることになったのかを証言するミッシング・リンクともいうべき貴重な音源のリリースだ。

 「メタ・インプロヴィゼイション」というのは、そのように呼ばれる種類の即興演奏があるということではなく、フリージャズやフリー・インプロヴィゼーションといった、それまでの時点で知られていた即興演奏の概念を、さらに彼方へと超えていこうとする意志のようなもの、あるいは、少し文学的に表現するならば、そのような行為に及ばすにはいられない、生涯を通して変わることのない前衛の魂といったものを、「メタ」という接頭辞をつけることで表現にもたらしたものといったほうがいいだろう。

 ライナーノートを参照すると、アルバムの選曲と構成は、これらの演奏を録音した大友良英が担当したということであるらしい。4会場の演奏を高柳のコンセプトにしたがって並べ替えることで、晩年のソロ演奏へとむかう過程であらわれた各要素が、わかりやすくまとめあげられている。当然のことながら、即興演奏の彼方におもむこうとしていた当時の高柳が、このように明確に自分の進路をパースペクティヴ化することができていたわけではないだろう。複数あった過程をいきつもどりつしながら、くりかえし思考を重ねていたはずである。後進の私たちは、そこで切り捨てられたもの──たとえば、現代音楽を参照するようなアカデミズムなど──も、オルタナティヴな可能性のひとつとして、ていねいに拾いあげていかなくてはならない。

 テープ音源の使用、大音量のエレクトリック・ノイズ、清水俊彦がミシェル・セールを引用して語ろうとした《基調の響き》の存在など、晩年のノイズ宇宙を髣髴とさせるような演奏は、すでに演奏を成立させるような音楽構造にも及んでいて、ツアー中、体調に配慮しなくてはならなかった高柳の身体が、半分だけあちらの世界にはみだしているのがわかる。その一方で、晩年の演奏との最も大きな相違は、高柳の音楽上の同伴者であったギターという楽器を、“廃物化” しきれていないところにあるように思われる。拡散していくサウンド群のあちらこちらに、ギタリストとしての高柳の演奏が顔をのぞかせ、これがエレクトリックな音響ガジェットをつなぎあわせたところに生まれるサウンドの自己増殖ではなく、サウンドのうしろに表現者がいる “演奏” だということにこだわっているのである。この差異はけっして小さなものではない。こうしたミュージシャンの尾骶骨は、音響ガジェットの増殖そのものによって乗り越えられていくことになる。■


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■ ジンヤ・ディスク http://www.jinyadisc.com