2011年9月24日土曜日

サン・ラについて(泉 秀樹)

泉 秀樹(©Elena Tutatchikova)


 毎回冒頭でお話しておりますが、今年の2月から開始しましたESP(本)応援祭なるイベント企画は…ESP-DISKに関する書籍を作りたいというプロジェクトに協力(当初はジャケ写)させていただいている関係で “せっかく作るなら良い本を上梓していただきたい” という老婆心と “論考を記載するなら、思い込みで記載するのではなく、よく聴き直し、ミュージシャンの演奏歴に触れるならわかっている範囲で事実確認はとりましょうよ” というおせっかいから音源提供とガイド役を不肖わたくしが…ということではじめました。 

 で、サン・ラ。

 イベントでは入りやすいお話からはじめました。 

 現在、普通に手に入る最初期の音源はヴァイオリン奏者スッタフ・スミスとサン・ラのDuo音源で曲は「Deep Purple」(1948〜49年ころの録音と言われており、まだアーケストラは組織されていない)、サン・ラのラスト・レコーディング「A Trbute to Stuff Smith」でも同曲を採用しており偶然にしては出来すぎだな(92年録音。ちなみにリーダーは今年亡くなったビリー・バング)と、この話をプロローグとしました。 

 ほかの所謂FreeJazzミュージシャンとは世代的にも別で…なにしろ1914年生まれ、故郷アラバマで10年(22歳から32歳)ソニー・ブラウント・オーケストラ(スイングバンド)など、作曲アレンジャーとしても活躍。シカゴ時代以降は知られる通りで(32歳から47歳まで15年)、苦労の末 仲間とNewYoyrkへ出てきたのが1961年(47歳)。 

 サン・ラのESP-DISK(LPで3枚65年、66年録音)の頃までは、電気楽器や電子楽器が充分使えなかった…アコースティック楽器で電子楽器風の音を出してみたい、という時期で、もちろん電子楽器もどきのチャレンジはしていたが…60年代末に登場するシンセなどを扱う時期との違いをお話したと思います。 

 時代を考えても、この「電子楽器が充分使えなかった時期」ということが(私は)重要に思っております。 

 その後、ESP-DISKのリリースが功を奏したか世界的な認知・評価を得、69年にはニューポートジャズ祭にも出演(客席音源が21世紀になってCD化)。70年にはフェスティヴァル招聘により初渡欧。…以下略。 

 当時名アレンジャーといわれるギル・エヴァンスやジョージ・ラッセルの諸作・音源と聴き比べましてもその特異な(創造的な)地位はゆるぎないものであり、ジャンルを超えて音楽界に多大な影響を与えていったと思います。 

 サン・ラに関しましては21世紀の現在まで未発表音源や映像が続々リリースされ、研究者にとって深耕するに、またとないアーチストになっております。さらなる探究が待たれる表現者! それがSun Ra!




[泉秀樹氏に寄せていただいた本稿は、mixiに講座のレポート記事を掲載した際、報告ではなく、執筆者の個人的なサン・ラー観を披瀝する場になってしまったため、補足の意味で紙上再演していただいたテクストを、多少手直しのうえ転載させていただいたものです。]

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