2011年9月29日木曜日

航:Do-Chū




『Do-Chū』
(Koya, KOYA108001)
 曲目:1. 窓(7:57) 2. 稜線(6:16) 3. 山頭火*(5:49)
4. 朝の匂い(4:51) 5. GARE(12:01) 6. 6variation?(3:19)
7. diaphanous veil(5:34) 8. つきみちる(5:38)
9. 道標(7:45)
 *テクスト:種田山頭火
 演奏:航(vo, p, keyb)
    田村夏樹(tp) 植村昌弘(ds) 公文南光(cello)
 録音:2009年4月13日、5月16日(「朝の匂い」のみ)
 場所:東京/池袋「Studio Dede」、東京/吉祥寺「GOK Sound」
 解説:沼田順
 発売:2010年6月1日


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 藤井郷子がプロデュースした前作『山吹』(2005年)から5年、シンガー・ソングライター “航”(こう)のセカンド・アルバム『Do-Chū』が、彼女自身のレーベル Koya からリリースされる。歌詞を越えて自由に動きだす(即興ヴォイスという意味ではない)声につき従っていくことで切り開かれた、オリジナルな世界が刻みこまれた一枚。

 本盤に収録された楽曲は、歌に与えられたいくつかの声によって、大きく三つに分けることができるだろう。ひとつは、キリのように硬く先の尖った声の文体を作って歌われる歌謡群で、航が敬愛する藤井郷子の音楽性に通じている。変拍子やパーカッシヴなピアノの打鍵、さらに歌詞のサウンド化といった歌唱法の採用は、いずれも航の声のパッショネートな部分を倍加するものとなっている。ベーシストを置かず、植村昌弘とのデュオで強烈なグルーヴ感を出してみせた「窓」(この曲のみならず、アグレッシヴな航のピアノは藤井を連想させて聴きもの)、「分け入っても 分け入っても 青い山」という一句で有名な種田山頭火の俳句にメロディーをつけた「山頭火」、田村夏樹のトランペットとバトルを展開した「GARE」、シンセ・オルガンで弾奏される5拍子の言葉遊び歌「6variation?」、ふたたび植村とのデュオで演奏される疾走感にあふれた「つきみちる」など5曲。なかでも、すべての所有物を捨てた場所から見えてくる、憑きものの落ちた世界をうたった山頭火の俳句が、まったく貧乏くさくなく、こんなに激しく、モダンに表現できるというのは予想外だった。

 一方、シンセ・オルガンの響きが声を包みこんで、まるで聴き手の周囲の空気までもがどんどん澄んでいくような、天上的な世界を垣間見させてくれる一群の曲がある。これらの楽曲において、声はひとりごとのようにつぶやかれ、一転して自分の心の内側を照らし出すカンテラとなる。単語の羅列が歌詞になっていく「稜線」では、田村夏樹がトランペットを声化してこの聖域に挑戦しているし、広々とした空間を広げてみせるピアノのバラード弾奏が魅力的な「朝の匂い」では、チェロの美しいメロディーがゆったりとした時間に寄り添っている。そしてどうやら天女の羽衣のことを歌ったらしい幻想的な曲「diaphanous veil」(「透明なヴェール」の意味)では、声はただシンセ・オルガンの桃源郷のなかに漂って、まるでそれそのものが透明なヴェールでできているかのよう。はかなく、美しく響いている。

 これらは通常、スリリングな曲とバラードというような楽曲の特徴から対比されるものだが、航においては、別々の世界を示すふたつの声が聴き手に垣間見させるふたつのヴィジョンというものになっている。そこにもうひとつの声が加わる。

 アルバムの最後に収録された楽曲「道標」は、曽野綾子のエッセイ集『誰のために愛するか』(1970年)のテクストに作曲をほどこしたもの。坦々としたピアノ弾き語りで、静かなクライマックスを迎える印象的な演奏となっている。楽曲では「全てのものに時があり」ということを、愛別離苦において歌っていくのだが、ここで示された世離れた宿命観/諦観は、おそらく後者の声の系譜の延長線上に出現したのではないかと想像される。曽野綾子のテクストが求められたのは、それがやはり航自身の言葉ではジャンプしきれない場所にある想念だからだろう。届かない場所にある言葉に声が届く。しかし、それにしても、声だけがどうしてそこに行くことができるのだろうか? 当たり前のようでいて、とても不思議な出来事のように思う。


[初出:mixi 2010-04-06「航:Do-Chū」]

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■ Koya Records[航] http://koh.main.jp/main.html