2011年9月23日金曜日

ESP(本)応援祭 第四回

カフェ・ズミ店主の泉秀樹氏(左)と特別講師の長門洋平氏(右)

 4月24日(日)に開催された吉祥寺ズミのシリーズ講演「ESP(本)応援祭」の第四回「忘れがちの ESP part 2」は、故大里俊晴のもとで学び、現在は、総合研究大学の博士後期課程で、1950年代-60年代の日本映画における音響を研究している長門洋平氏を京都から招き、ESP に録音を残すサックス奏者フランク・ロウの活動を中心に取りあげ、1960年代のフリージャズ期と、1980年代のニューヨーク・ダウンタウン・シーンの勃興を架橋する試み、「遅れてきた闘士フランク・ロウとジョン・ゾーンのデビュー前後を絡めて再考する」が開かれた。

 ロウの経歴のうち、デビュー前にスタックスのレコードショップで働いていろいろな種類の音楽に触れていたこと、また、エモーショナルな演奏によって「闘士」と呼ばれることになったESPのデビュー作『Black Beings』(ESP 3013)の前後の録音──ラシッド・アリと共演した『Duo Excange』(Survival, 1972年)とリーダー作第二弾『Fresh』(Arista/Freedom, 1974-75年)──をあわせ聴くことで、フランク・ロウが一般にイメージされているより幅広い演奏をしていたことを強調し、潜在的に多形式の音楽に開かれていたことが、1970年代後半にジョン・ゾーンが登場してきたとき、オーケストラのメンバーにいちはやく彼を迎え(『Lowe & Behold』Musicworks, 1977年)、また黒人ミュージシャンとの共演が極端に少ないゾーンの『Spillane』(Elektra Nonsuch, 1987年)に参加するような交流を生んだとする。

 その一方で、長門氏は、ポスト・コルトレーン期にあたる1970年代のクリエーティヴな黒人音楽シーンを、AACMが主張した「グレート・ブラック・ミュージック」に見られるような大きなルーツ回帰によって特徴づけ、ジョン・ゾーンの証言などをもとに、この時期の彼らは「排他的民族主義」に陥っていたと批判された。

 しかしながら、フランク・ロウからジョン・ゾーンに手渡されたものを特権化し、強調するために、「黒人」という一般概念を、個別の音楽活動に即さないまま、人種的なイデオロギーのなかで解釈するこの主張は、例えば、(日本などで特に)「ロフト・ジャズ」と呼ばれた1970年代のムーヴメントを参照してみるだけでも、いささか観念的ではないかと思われた。むしろ私たちに求められるのは、後発の研究者であることを最大の利点にすることであり、黒人たちの権利獲得運動から少し離れた地点で、音楽スタイルにおけるロフト・ジャズの多形式と、後年開花することになるジョン・ゾーンの多形式を、表裏一体のものとしてとらえる複眼的な思考なのではないだろうか。

 ちなみにこの日は、特別に第三部が用意され、講師を務めた長門洋平氏によるブルース・ギター演奏が20分ほど披露された。オーネットの「ロンリー・ウーマン」をブルース的に解釈しながら演奏した変奏曲と、アイラーの「ゴースト」のモチーフ提示は、サウンド・カフェ・ズミによく似合っていた。















[初出:mixi 2011-04-25「ESP(本)応援祭 第四回」]

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