2011年10月7日金曜日

実験音楽とコンセプチュアル・アート

第2回パネリスト:左から、平間貴大、宇波拓、角田俊也


シリーズ「実験音楽を語る」第二回
実験音楽とコンセプチュアル・アート
出演: 宇波拓 角田俊也 平間貴大
日時: 2011年2月24日(木)
会場: 千駄ヶ谷ループライン
(東京都渋谷区千駄ヶ谷1-21-6 第三越智会計ビルB1)
TEL.& FAX.03-5411-1312
開場: 19:00,開演: 19:30
料金: ¥2,000+order
司会進行: 北里義之 企画構成: 音場舎
主催: 音場舎


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 角田俊也、宇波拓、平間貴大の諸氏をお迎えしたループライン・フォーラム「実験音楽を語る」の第二回が終了した。このシリーズでは、テーマ設定をする際に、実験音楽とはなにかといった本質論をしたり、参加するパネリストが自分の実験音楽を語るという自己紹介をできるだけ避け、現在「実験音楽」と呼ばれる領域にどのような要素が流れこんでいるのかを、結果的に腑分けしていくような語りを集めるというスタイルを目指している。ケージが編み出したタイム・プラケットの発想を援用するなら、ここでいう「実験音楽」というのは、既成概念のようなものではなく、いくつもの語りがやってくる時間/場所の形式的枠組につけられた名前のようなものといったらいいだろうか。

 前回はジョン・ケージという強力な参照項があり、パネリストのふたりが「実験音楽」という言葉を(歴史的に)引き受けているという条件がさいわいして、話のまとまりがよかったのだが、コンセプチュアル・アートを参照項にしようとした今回は、ループラインという場所が、これほどに立ち位置も資質も異なった人々の集まる場所になっているのだ、という事実をあらためてつきつけられるようななりゆきになった。20世紀前衛芸術運動におけるコンセプチュアル・アートや、個々の演奏を成立させるときに考慮されるコンセプトという切り口で三人の語りを通分するようなことは、最初からできない相談だった。


 角田俊也氏は、コンセプチュアル・アートと実験音楽の関係を実証的に跡づけることはむずかしいと前置きしながら、その黎明期に活躍したスタンリー・ブラウンによる「純粋歩行」の作品を紹介しながら、コンセプチュアル・アートが具体的にどういうものかを解説し、あわせて氏自身の関心のありどころを述べた後、ヴァンデルヴァイザー楽派のマンフレート・ヴェルダーの演奏を例示して、その対比をおこなった。最後に、角田氏自身のフィールド・レコーディングの録音も紹介された。

 二番手の宇波拓氏は、自身があくまでも音楽家/演奏家であることを強調しながら、その場のコンテクストを逸脱/攪乱/異化するような要素を導入する手法について述べるだけでなく、宇波氏ならではのホラー・コメディーな趣味に立脚しながら、音楽監修でかかわった沖島勲監督作品『一万年後』や『怒る西行』のこと、スペキュレイティヴ・リアリズムという日本にあまり紹介されていない思想に関連して、Ray Blassier『Nihil Unbound』、Thomas Ligotti『My work is not done』などの著作について触れ、さらに宇波氏がスコットランドの音楽祭で知りあったという打楽器奏者ジャロット・ファウラーが奉じていたバクテリア・ベースの思想 “ディープ・エコロジー” などを紹介してから、それが氏自身の実作にどう反映されるかを解説した。

 最後の平間貴大氏は、プロジェクターを使った履歴の展示とともに、具体的な創作過程について触れつつ、氏がこれまでたどってきた活動を紹介した。オフサイトで聴いた秋山徹次、中村としまるの演奏に感銘を受けたこと、自分の活動をするときに演奏者はいらないと思い、つねにレコーダーを携帯して即興演奏としてのカセット録音をはじめたこと、それをやめてからは、即興的な要素を次々に捨てていく方向へと進み、Macの音楽ソフトであるガレージバンドを使って、演奏時間を4分33秒に限定した曲を50曲ぐらい作ったことなどついて述べ、いくつかの作品をプレイした。


 個別の話につづくフォーラムは、これは方向性の異なる三者の間でトークを成立させることが優先したということだと思うのだが、この日のテーマについて議論するというより、個々の話の内容をめぐる雑談のようになり、奇抜な発想を展開する最年少の平間貴大氏の「新人類」ぶり(古びた表現でもうしわけない)に、司会を含めた各自が、それぞれの立ち位置を照らし出すような格好で話が進行していった。タイトルから現代美術の議論を期待されていた観客の方には、羊頭狗肉を売る類のフォーラムになったのではないかと恐縮する。



 最後にもうけられた宇波拓氏によるデモンストレーション・ライヴは、時間も押していたので休憩をとらず、フォーラムにつづけておこなわれた。ステージ中央にエコーを深めにかけたマイクが一本セッティングされ、パネリストの全員が客席にはけると、準備をすませた宇波氏は、カウンターで本日の料金を払い、ドリンクを注文してから、あいていた高いスツール席に腰をかけた。


 そのままなんのパフォーマンスもおこなわれず、時間だけが経過していく。これはどうやら、過去に何度かおこなわれたことのある「ノン・イヴェント」というイヴェントであるらしかった。観客席のどのくらいの人が事態を了解していたのかわからないが、誰ひとりとして騒ぎだしたり、席を立ったり、怒りはじめたりしなかった。みんなじっとしている。ジョン・ケージの「4分33秒」の再演に、誰もがわけしり顔で立ちあうのとよく似ていた。


 とはいえ、「ノン・イヴェント」とはいうものの、実際になにもおこなわれないわけではなく、この会場の雰囲気を見てとった宇波拓氏は、「みなさん2000円もはらってこんなですよ!」といったような挑発的な発言をくりかえすだけでなく、イヴェントを終わらせるために客電をつけたり、誰もいないステージに、紙つぶてやガラスコップを投げこんだりした。ガラスコップは割れることなく(あとで聞くと、どうやら割れる予定になっていたらしかった)、大きな音を立てて床に転がり、その音をエコーを効かせたマイクがひろった。宇波氏があれこれ手をつくしても観客は微動だにせず、いっこうに「ノン・イヴェント」が終わる気配をみせないので、最後に、宇波氏にうながされて、司会者の私がステージのマイク前に立ち、観客席にお礼の挨拶を述べて、無事?お開きとなった。ループラインでは、観客も手だれだったのである。


[初出:mixi 2011-02-26「実験音楽とコンセプチュアル・アート」/加筆修正のうえ転載]