2011年10月23日日曜日

日本⇔トルコ:わたりゆく音3


Sound Migration
<日本⇔トルコ:わたりゆく音>
日時: 2011年2月14日(月)
会場: 神奈川/横浜「神奈川県民ホール・小ホール」
(神奈川県横浜市中区下山町3-1)
開場: 7:00p.m.,開演:7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000(全席自由)
出演: 国広和毅(vo, g, ds) サーデト・テュルキョズ(vo)
シェヴケト・アクンジュ(g) 河崎純(b)
美加理(dance)
問合せ: 神奈川県民ホール TEL.045-662-5901


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 シーン10<触媒: Catalysts>は、プログラムに「即興演奏に稽古は必要か。言えることは一つ。2人の即興演奏の稽古に、なんと時間を費やしたことか!(河崎、シュヴケト)」とある注目のシーンである。ステージ中央で仰向きに倒れた美加理は、人形のように無表情な顔に、なにも見ていないガラスの瞳を光らせ、屍体のようにぴくりとも身動きしなかった。しばらくすると、横になったままゆっくりとからだを横向きにし、立て膝となり、静かに立ちあがる。脱臼した時間を産出するようなこのパフォーマンスの時間に、河崎純とシェヴケト・アクンジュの即興的対話が試みられた。オムニバス構成の本公演における白眉の場面というべきであろう。


 制作ノートは、ひとつの音楽ジャンルの外部に立とうとする場合、わたりゆく音が対話をかわすことは、たとえ彼らがそれぞれの領域で即興演奏に習熟していたとしても、そう簡単なことではないということを示している。ここで「触媒」と呼ばれているものが、美加理のパフォーマンスではなかったとしたら、他に思いあたるものは、サウンドということになるのだろうか。「最後に音空間の中に彼女がすっくと立った時、聞えない音がもうひとつ立ちあがるのを、私たちは確かに聞いた。」「わたりゆく音」の核心部分で、橋はどこにかけられ(ようとし)たのだろう。

 シーン11<2つの物語: Two legends>では、冒頭のシーン1<わたりゆく音: Sound Migration>の構成に戻って、国広とテュルキョズによる歌のかけあいが演じられる。パフォーマーたちにそんなつもりはないだろうが、ここもまた、物語構造の視点に立って解釈すれば、重要なポイントになる部分だ。というのも、ふたりの歌手が別々の物語をかけあいで語るシーン1とシーン11の対称性は、一見複雑化されてはいるものの、この「Sound Migration」の場が、車座になった人々や子供たちに、共同体の記憶をもちはこぶ古老が昔話をするような、とても古い説話形式を踏襲していることを意味するからである。もっとわかりやすくいうなら、「昔々、あるところに」ではじまり、「めでたし、めでたし」で終わるような枠構造を暗示しているということなのである。

 これは物語から小説へ──口承的な声の伝統から、活版印刷を介しての黙読へ──という、近代文学成立論でかならず触れられる常識といえるだろう。この意味では、「Sound Migration」は、グローバリゼーションの時代に、身体や声に依拠し、パフォーマンスのかけあいでおたがいを認めあうような、近代が成立する以前の世界に回帰しようとしているともいえるわけである。少なくとも、異文化どうしの接触が日常的に起こるような私たちの時代に、もし越境者たちが表現の共通基盤をもとうとするならば、一時的にでも原初的なものに帰らざるをえないということを、この作品は示しているのではないだろうか。


 シーン12<Transmigration>は大団円である。ステージ前方には、河崎純、テュルキョズ、アクンジュがならび立ち、国広和毅が水平バスドラが置かれた後方の定位置につくなか、ステージ下手から登場した美加理は、結婚式を迎えた花嫁のように、純白のドレスのすそを長く引きずりながら、舞台を斜めに「Transmigration」([魂の]輪廻、転生。移住のこと)していく。上手までゆっくりと歩みつくしたところで、ステージ端の階段から客席のフロアに下り、ホールの右通路を通って客席後方の扉へとむかった。


 美加理が示そうとしているものは、シーン10で見せた人形のように無表情な顔にも通ずるもの、すなわち、この世で享けた生の “むこう側” ではないだろうか。この意味において、彼女のパフォーマンスは、「わたりゆく音」の現在を、一挙に反転させてしまうような破壊力を秘めていたように思う。そこから敷衍して考えると、あえて日本語タイトルがつけられていない「Transmigration」は、旅から旅へ人生を送る私たちが、ひとつの生を越えてもなお、生まれ変わり死に変わりしながら「移動」をつづけていくという意味になるであろう。「わたりゆく音」に結論のあろうはずはなく、すべては旅の途上にある私たちの、過去と現在と未来をいまこのときに肯定し、引き受けるしかないという智慧の開示である。

 日本とトルコの国際交流をうたうパフォーマンスの舞台は、五つの「わたりゆく音と身体」に導かれるまま、ふたつの国を越え、この世界の埒を越えて、私たちを時空間の彼方に運びさってしまったかのようである。死すらも私たちの旅を終わらせないのだとしたら、いったいなにが私たちに安住の地をもたらしてくれるのだろう。


 



※写真は(1)「Sound Migration」参加メンバー全員がそろった宣材写真。(2)神奈川県民ホールのギャラリー入口を飾る赤い柱。(3)コンサート終了後にふりだした春の大雪。


[初出:mixi 2011-02-16「Sound Migration3」]

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Sound Migration http://www.parc-jc.org/j/2010/sm/