2011年10月25日火曜日

美加理



 「Sound Migration」シーン10<触媒: Catalysts>。

 私は、ガラス玉のようにうつろな目を見開きながら、あおむけに床に倒れこんだ美加理の顔をのぞきこんでいた。それは、最前列から二番目の席に私がいて、のけぞる頭を私のほうにむけた彼女の顔が、すぐ目の前にあったからであり、ほとんど静止している姿勢とうつろな目を見ながら、これは以前にどこかで見たとても気になる光景にとてもよく似ているということを思い出していたからである。記憶をたどっていくと、その光景は、どうやら私生活のベッドのなかといったものではなく、ビルの屋上から墜落死した屍体を連想させる人形の写真のようだった。

 球体関節人形。しかも作家は井桁裕子とわかっている。1996年、彼女が精神的な危機に直面していたとき、たった一度、たった一体だけ制作された作品「セルフポートレイトドール」で、しかも少し調べていくと、これは写真家のマリオ・アンブロジウスが畳に寝かして撮影した写真だということもわかった。井桁の関節人形は、この作品ばかりでなく、どういうわけか寝かされたまま展示されることが多い。

 美加理の顔がアンブロジウスが撮影した球体関節人形の写真に重なったのは、寝たままで静止したからだの屍体感、無防備な女性の危うさ、そしてカメラのレンズが人形の視線に焦点をあわせていないことによる空虚感などからだったように思う。井桁自身も「セルフポートレイトドール」を写真に収めているが、作家自身がこの作品とむかいあうときには、自身を(あるいは自身の過去を)真正面から見すえようとするために、カメラのレンズを人形の視線の先に置いてしまう。撮影者と被写体が、内面的な関係で結ばれてしまうのである。そうすると、不思議なことに、ガラス玉のようにうつろだった人形の瞳に輝きが戻ってくる。私が見ていた美加理の瞳は、外界のなにも映してはいなかった。捨てられた球体関節人形のようであり、屍体のようであった。

 おそらく女優は、からだを静止させることに全神経を集中しながら、時間の経過を待っていたのだろう。ふと、自分の顔をのぞきこんでいる私の視線に気づくと、彼女は私の顔を直視した。予想外の展開である。私はそのときの自分がどういう視線を放っていたかをしらない。おそらく女優のガラス玉のような目に共振して、放心していたのではないかと思う。そんな私の視線に、彼女はいったいなにを読んだのだろう。ステージのうえで油断しているときの自分、他人には決して見られたくない寝顔を見られてしまったときのような屈辱感からだったのだろうか、私は彼女から責めさいなまれるような視線で射すくめられた。ほんの一瞬前の、ガラス玉のようになにも見ていなかった空虚な瞳に、いまや底知れぬエネルギーがみなぎっている。寝た姿勢からすっくと立ちあがり、観客席の遠方に視線を放つまで、美加理は私を凝視していた。あるいは、私のいるあたりを凝視していた。

 考えてみれば、ひとつの屍体となって横になった姿勢から、立ちあがる、起立するという、精神的な姿勢に移行する一連の演技を構築する場合、視線をどうしたらいいのかは大問題である。このふたつのかけ離れた身体状況を越境するというありえない行為──ありえないものがかけられているからこそ、制作ノートに畠由紀が記したように、そこを越境していく作業が感動的にもなりうるのだが──を、演劇がするような状況説明いっさいなしでおこなわなくてはならないとき、女優はいったいなにを見ればいいというのだろう。

 すぐれた演出家がいれば、視線についてアドヴァイスが出されただろうが、「Sound Migration」の場合、パフォーマーの判断に多くがゆだねられていたことや、舞台に見るべきものがなにもない状況というのは、おそらく女優にとって過酷だったはずだ。ある思いの深度をもって美加理の顔をのぞきこんでいた私の視線を、いっきにはじきかえした女優の視線は、そのようにすることで、起立するための理由とエネルギーと衝動を、一瞬のうちに獲得した──おそらくはそういうことだったのではないかと思う。ここで私たちが気づかなくてはならないのは、美加理の頭越しにインプロヴィゼーションする男性ふたりがしていることでは、起立するための理由や衝動を女優に与えることができないということである。彼女はそこにいるための理由を彼女なりに見つけながら、このプロジェクトをなんども選びなおさなくてはならなかったということであろう。

 「いくつもある人形のうちの一体じゃなくて、儀式的な特別な人形。」摂食障害を病み自己否定をくりかえす、そんな精神的な危機を乗り越えるために製作された「セルフポートレイトドール」について、井桁裕子はそう述べる。両手をひろげた旋回にせよ、長い布を引きずりながらの歩行にせよ、「Sound Migration」における美加理のパフォーマンスもまた、ひとつひとつが儀式であったように思う。というのも、それがなんであるにせよ、人にとって<移行>とは、本質的に危機的な瞬間であることに他ならないからだ。そのことを最もよく承知していたのは、「交流」の合言葉に、予定調和的なものを見出すことのできない美加理ではなかったかと思う。



[初出:mixi 2011-02-17「美加理」]