2011年12月27日火曜日

横井一江:アヴァンギャルド・ジャズ


横井一江
アヴァンギャルド・ジャズ
── ヨーロッパ・フリーの軌跡 ──
四六版上製288頁 2,800円(税別)
未知谷 2011年6月


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 定期的にヨーロッパ取材を敢行して、歴史のあるベルリン・ジャズ祭や、敏腕プロデューサーのブーカルト・ヘネンが、つねに最先端の音楽を特集していたメールス国際ニュージャズ祭、さらに、ドイツ・フリージャズの宝庫であるFMPレーベルの音楽週間などをレポートして、その最新動向を伝えたり、有名無名を問わず数多くのミュージシャンにインタヴューをして、音楽はもちろんのこと、その人間性まで浮き彫りにするなど、確乎とした合衆国ジャズのマーケットが築かれている日本のジャズ雑誌には、なかなか生の情報が入ってこない西ヨーロッパの音楽事情を、ドイツのジャズ界を中心に、根気よくフォローしてきた横井一江が、これまでの業績を一本にまとめるような著書を刊行した。故・清水俊彦の評論集のタイトルをひっくりかえしたような「アヴァンギャルド・ジャズ」というのは、おそらくいまは亡き先達への隠されたオマージュであるとともに、すでに歴史となった “あの時代” を象徴する言葉として採用されたものであろう。

 著者みずから「あとがき」で書き足しているように、ベルリンの壁崩壊以降のヨーロッパは、西ヨーロッパが西ヨーロッパとして自己完結できないような地政学上の変動期を迎えている。現地の訪問を重ねてきた著者が、そのことを知らないはずはない。グローバリゼーションの時代に突入して、「アヴァンギャルド」の概念は大きく揺さぶられているだろうが、そのことをきちんと論じるためにも、まずは歴史や社会に軸足をおきつつ、ベーシックな情報にもとづいた「ヨーロッパ・フリー」の基本的イメージを一書にコンバインすることが必要と判断されたのであろう。それはおそらく、著者が過去に訪れた場所や時間を、もう一度生きなおしてみるような経験ではなかったかと想像する。

 というのも、ジャズの歴史を語る類書とは違って、本書はそのようなフリージャズが誕生したある時代のヨーロッパを再訪する、イマジネーションの旅の自由度を獲得しているように思われるからである。フリージャズをあつかいながら、そこに書き留められているのは、私たちがよく知っている小難しいジャズ論などではなく、颯爽としたいでたちに身を包み、女性にはさぞや重たいだろうと思われるカメラを抱え、春先の風に吹かれながら、あるいは秋口の曇天の空をにらみつけながら、ヨーロッパの空港に降り立つ著者の姿なのである。そのせいで本書は、著者が足で稼いだ音楽情報を惜しげもなく盛りこみながら、けっして観念的にならないエッセイの文体に乗せてつづられたフリージャズ・データブックというような、ユニークな性格の音楽書になっているのではないだろうか。

 欧州のジャズ雑誌を定期購読するなどして、海外記事になじんでいるコアなジャズ愛好家には、本書に収録された豊富なミュージシャンの写真群が、それらの雑誌を飾っていた写真のスタイルを踏襲したものであることに気づかれるだろう。日本の音楽誌ではあまりお目にかかることのない、ミュージシャンとの距離がとても近い写真の数々は、実際の距離によるものではなく、彼らの音楽への共感がそこにあるからであり、伝統的なモダン・ジャズ・フォトグラフィ(モダン・ジャズの写真という意味ではなく、モダン・フォトグラフィの美学に立ったジャズ写真の意味)の美学に立ちながら、カメラマンと被写体との強い関係性を感じさせるものとなっている。なかでも特筆すべきは、本書に収録されたイタリアン・インスタービレ・オーケストラの写真や、残念ながら収録されなかったセルゲイ・クリョーヒン “ポップ・メハニカ” のステージ写真などで、これらは即興オーケストラが出来事の場であることを、この一瞬にまるまるとらえた貴重な作品となっている。

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横井一江ブログ]音楽のながいしっぽ