2012年2月21日火曜日

宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー 十一番目の航海

向かって左から、泉秀樹、岡島豊樹、片岡文明の諸氏

宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー
第11回 ユーゴスラヴィアに分け入る
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開演: 2012年2月19日(日)5:00p.m.~(3時間ほどを予定)
料金: 資料代 500円+ドリンク注文(¥700~)
添乗員: 岡島豊樹(「ジャズ・ブラート」主宰)、片岡文明
主催: サウンド・カフェ・ズミ


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 旧ユーゴスラビアにもジャズは輸入されていた。地中海の多様性に開かれたイタリア半島のジャズ史を2回にわけてたどった宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアーは、その足でアドリア海を渡り、対岸のバルカン半島に上陸する。周知のように、ソ連型の社会主義から距離を置く独自の路線をとることで、一定の政治的自由を実現したチトー政権の冷戦時代から、ソ連邦の崩壊とともに始まった東欧革命のなかで、多民族国家であるがゆえに、隣人どうしが殺しあう内戦へと発展して、連邦そのものが崩壊するという悲劇の歴史をもつ地域である。ボラ・ロコヴィッチ、ドゥシュコ・ゴイコヴィッチ、ララ・コヴァチェフ、ボヤン・ズルフィカルパシッチなど、紹介されるミュージシャンにも、自由な活動を求めて海外に出た演奏家が多く、合衆国ジャズ史のように、“より多くの自由を求めて” 変転していった形式史として音楽の歴史を再構成できない側面をもっている。考えてみればあたりまえのことではあるが、世界の多様性のなかで、ジャズは、地域ごとにじつに様々な形で、他の音楽とまったく新たにシャッフルされることになり、ナショナル・ジャズ史の考え方(それぞれの国に固有のジャズ史があると考える立場)をゆるがすことはもちろん、門外漢の聴き手が、外部から容易に見通すことのできない隠された意味を持ったということなのであろう。

 音盤をたどっていくかぎりでは、旧ユーゴスラビアに、ハードバップのようなジャズは輸入されたかもしれないが、ニュージャズ/フリージャズは輸入されなかったという。アドリア海を隔てた対岸のイタリアには伝わったものが、旧ユーゴスラヴィアには上陸してこなかった。これがどうしてなのか、はっきりとした理由はいまのところわかっていない。以下は、この日かけられた音盤を聴いての雑感にしかすぎないが、音楽スタイルとしてのモダンジャズの受容ということはありえても、即興演奏が音楽形式を規定していくというフリーの精神は、バルカン半島の場合、大衆芸能の領域に、ロマ音楽のような強力な “生成の音楽” が根を張っていたために、阻まれたというふうには考えられないだろうか。ベオグラード放送ジャズ・オーケストラ(1957年)の「マンボ」から、フェンダーローズが響くレビソルの演奏(1979年)までをたどった前半で、圧倒的だったのは、かの “ジプシー・クイーン” エスマ・レジェポーワ&ステヴォ・テオドシエフスキー楽団の「Cae Sukarije」(1960年代初期)だったからだ。

 もうひとつ、私たちはしばしばこのふたつを混同してとらえてしまうが、ジャズの世界性をいう場合に、ワールド・ミュージックとしての普遍的な側面と、インターナショナル・ミュージックとしての普遍的な側面を、ふたつ別々のものとしてわけてとらえておくべきではないかと思われる。いうまでもなく、前者は文化の多様性へと結びつき、後者は文化革命へとたどりつく。ともに生命的なあらわれではあるものの、前者は、生物が生き変わり死に変りする自然の摂理のようなもので、後者は、いってみれば突然変異のようなものである。思いもかけなかった者に(世界の外から)呼びかけられる経験といったらいいだろうか。ニュージャズ/フリージャズが輸入されなかったバルカン半島のジャズに、前者はあっても後者はなく(後者を受容する文化的な回路はなく)、1980年代以降は、世界をおおうことになったポストモダンの潮流に、多民族国家の実質をもって、それこそダイレクトに合流していくことになったのではないか、という仮説である。この考え方の結論は、旧ユーゴのジャズは、地域史のような形では可能でも、一国音楽史としては記述不可能ということになるだろう。ロマ音楽のあるところでは、どこでもそうなったということにはならないだろうが、ジャズを生成の音楽としてとらえた場合、生まれながらのワールド・ミュージックであるロマ音楽は、フリージャズの即興とは相容れない生成原理によって駆動しているように思われる。

 バルカン半島をめぐる宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアーの後半では、1980年代以降の音楽が網羅的に紹介された。1960年代から活躍しているミュージシャンとともに、名前だけあげれば、トン・ヤーンシャ、ボリス・コヴァッチ、ヴラトコ・クチャン、ミロスラフ・タディッチ、ヴァシル・ハジマノフ、プレドラグ・ゴイコヴィッチ、イリーナ・カラマルコヴィッチ(洗練された女性ジャズ歌手)などが登場し、さらに現代音楽で知られるヴィンコ・グロボカールの硬質な演奏(作品というべきか)も紹介された。これも妄想の域を出ないが、バルカン半島にニュージャズ/フリージャズが輸入されなかったのには、もうひとつ別の理由があって、ジャズの十月革命などとは違い、バルカン半島ではジャズが芸術と接点を持たず、あくまでもポピュラー音楽の領域にあるものとして受け止められていたからかもしれない。もちろん、実際にそうだとしても、これは決して否定的なことではない。というのも、いまはなきニック・ドミートリエフの言葉を借りれば、バルカン半島の音楽とは、「芸術」の概念を生んだ西ヨーロッパ的な価値観に染まらない、西欧を迂回する(西欧的なるものを迂回して、西欧的ならざるものどうしをダイレクトに結びつける)音楽だったのかもしれないということだからである。

 私自身は、宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアーに乗船してまだ日が浅いのだが、岡島豊樹をチーフ・アテンダントにすえたこのツアーは、ジャズの世界的な撒種を通じ、不均衡に発展し、相互にからみあう地域を照らしあわせることで、激動する同時代への多角的なまなざしを可能にしてくれるマジカル・ミステリー・ツアーになっていると思った。



※「宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー」は、4月1日開催の第12回ツアーで、とりあえずの区切りとなる。最終回は、ハンガリーと旧チェコスロヴァキアをのぞいてから、ドナウ河を下り、この旅の出発点である黒海に帰還するという長旅の終わりを祝う回になるとのこと。

※当日配布された「旧ユーゴスラビアのジャズ史断章」は、セルビア出身のウラジミル・マリチッチへの聞き取り調査から再構成されたもの。ナビゲーターを務めた以下の岡島豊樹のサイトで閲覧が可能。かけられた音盤の概要も記されている。

 【東欧ロシアジャズの部屋】

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吉祥寺サウンド・カフェ・ズミ