2012年4月9日月曜日

宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー 十二番目の航海

最終回の挨拶に立つ泉秀樹、岡島豊樹、片岡文明の諸氏


宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー
第12回 珠玉の中欧ジャズ巡り:ハンガリー、チェコスロヴァキア
特別チャーター:ドナウ河クルージング
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開演: 2012年4月8日(日)5:00p.m.~(3時間ほどを予定)
料金: 500円+ドリンク注文(¥700~)
添乗員: 岡島豊樹(「ジャズ・ブラート」主宰)、片岡文明
主催: サウンド・カフェ・ズミ


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 イタリア篇から “副添乗員” に片岡文明を加えた岡島豊樹の「宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー」は、イタリア半島からアドリア海をはさんだ対岸にあるバルカン半島へと移り、ロマ色が強く、同時に、フリージャズに染まらなかった旧ユーゴスラヴィアの各地を経めぐった後、ドナウ河をさかのぼり、これが最終回という第12回で、ハンガリーとチェコ - スロヴァキアを訪れた。黒海からスタートした世界周遊ジャズツアーは、ここ中欧でいわば西の果てを区切り(西側目線で、地中海に浮かぶシチリア島が、ヨーロッパ文明の辺境の地といわれるのと好対照である)、民族の多様性が渦巻く海に新たなジャズの息吹きを探し求めるこの旅も、いよいよ帰航とあいなった。バルトークの存在が大きく、固有のテイストをもったトラッド色の強いジャズを生んできたハンガリーやチェコ - スロヴァキアの歴史を探訪したあと、一行はふたたびドナウ河をくだり黒海へと帰っていく。

 前回の訪問地、バルカンの余韻を引きずりながら、“禁断のヴァイオリン奏者” ライコー・フェーリクスの炎の演奏「ドナウ河の南風」(2007年)で幕開け。ハンガリー・ジャズをほぼ年代順に再構成した前半でかけられた音盤は、ガーボル・ラディッチ・ジャズ楽団「魔法のヴァイオリン」(1942年)、ブビ・ベアメテル+サボー・ガーボル+ペゲ・アラダール「センチメンタル・ジャーニー」(1956年)、ルーマニア出身のヤンチー・ケロシーが注目していたピアノ奏者ガライ・アッティラの「トルコの印象」(1962年)や「干上がった泉」(1968年)、カーントル・ペーテルやシポシュ・エンドレをフィーチャーしたピアノ奏者ゴンダ・ヤーノシュの「異教の祭り」(1976年)、ハンガリーのプログレッシヴなジャズ・シーンをリードしたピアノ奏者サバドシュ・ジェルジュ(昨年惜しくも他界した)の「B-A-C-H impressions」(1962年)や「婚礼」(1962年)、サバドシュとアンソニー・ブラクストンが共演した「復活の踊り」(1984年)など。また次世代にあたるサックス奏者ドレシュ・ミハーイの演奏からは、「苦い溜め息」(1988年)や「ジメシュの印象」(1997年)、ドレシュがトラッド楽団チーク・ゼネカルと共演して民族フルートを吹いた「Keserves, lassumagyaros es felolatios」(1998年)などがかけられた。その他にハンガリー勢でフィーチャーされたのは、ジメシュ地方のトラッドを演奏するハルマージー・ミハーイ+ジゼラ・アーダームの「Slow and swift Hungarian dance」(1980年代後半)、神童と呼ばれたロマのピアノ奏者ラーカトシュ・サーチ・ベーラの「赤いキャラバン」(2003年)、弱冠20歳のサックス奏者ボーラ・ガーボルをフィーチャーしたドラム奏者バラージュ・エルメール・クインテットの「2008」(2008年)、カルテネカー・ジョルト+デーシュ・アンドラーシュの「心臓のリズム」(2000年)などである。

 ドナウ河をさらに遡行し、ハンガリーの国境を越えるとモラヴィア地方にかかる。著名なフルート奏者のイジー・スチヴィーンは、チェコ - スロヴァキアのフリージャズで最も見ることの多い名前。ここでは、モラヴィアの民謡からインスパイアされた「ドナウ河」(1991年)や、スイス出身のピエール・ファヴルと共演した「フォークスタイルで」(1979年)を聴き、さらにブロイカーやマンゲルスドルフなど、西側のフリーシーンで活躍するミュージシャンたちと集団即興した「Znamení dechu」(1979年)などがかけられた。スチヴィーンからフリーな音楽の存在を教えられたカレル・ヴェレブニーの演奏は、本人が病院のベッドに横たわるジャケットが謎のESP盤から「お城の階段のヴァルディ」と「アンドゥルコ・シャファージョヴァー」(1968年)を、また政治的な意識に目覚めたロック畑のプラスチック・ピープル・オヴ・ザ・ユニヴァースの「The Universe symphony and melody about Plastic Doctor part 1」(1969年)だとか、トラッドな素材をジャズ化したエミル・ヴィクリツキー「山を越え、森の向こうへ」(1989年)などもあった。最後に、ここまで取りあげられずにきたロマ系、クレズマー系のグループに触れ、オデッサ・クレズメル・バンドの「ゆっくり、そして速く」(2000年)と、トランペット奏者コヴァーチ・フェレンツをフィーチャーした著名なツィンバロン奏者バログ・カールマーンの「ブルガール・チガーニ・ホロ」(1994年)で、長い旅の終わりを飾った。

 「宵(酔い)どれ黒海周遊ジャズツアー」を貫流していたトラッドとモダンの対立軸は、音盤紹介のなかで、現代ジャズに差異化を持ちこむものとして語られていたが、もともとが近代的なるもののふたつの派生態だということを考えれば、いっしょに演奏をする際の音楽上の問題が解決され、異質なミュージシャンどうしがお互いを認めあえるなら、おそらくはかえってなじみやすいスタイルのように思われる。もしそれがそうならないとしたら、ナショナリズムだとか民族主義だとかグローバリゼーションといった要因が、イデオロギー的に作用するからに違いない。私たちの人生はそう長くないので、実際には、とても狭い領域で暮らしを立て、ものごとを成熟させていくにも、とても短い時間しか許されていない。とどのつまり、世界はひとつという仮説の真偽を確認することができないまま、生を終えるわけである。世界音楽としてのジャズというのは、霧のなかの航海のようなものであり、なにかの実体を指し示したものというより、むしろすべてが響きのグラデーションとともに聴こえているような状態のことなのだと思う。そのなかで人はただ兆候を読んでいる。そこにはもはや決定的に異質なものはあらわれないので、音楽に関する知識が(つまり、音響ではなく言語が)、それを別のもののように見せるために大きな働きをしているように思われた。



【参考資料】                              岡島豊樹「特別緊急講座:チェコ・ジャズ 早分かりキーワードとその用例」、『JAZZ PERSPECTIVE vol.2』Disk Union(2011年5月) 
【東欧ロシアジャズの部屋】(岡島豊樹)                http://jazzbrat.exblog.jp/14969460/

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吉祥寺サウンド・カフェ・ズミ