2012年4月17日火曜日

パール・アレキサンダーのにじり口 with カール・ストーン



Pearl Alexander presents "Nijiriguchi"
パール・アレキサンダー:にじり口
with カール・ストーン
日時: 2012年4月15日(日)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 2:30p.m.,開演: 3:00p.m.
料金/前売り: ¥2,300、当日: ¥2,500(飲物付)
出演: パール・アレキサンダー(contrabass)
カール・ストーン(laptop)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)


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 喫茶茶会記で毎月公演されているコントラバス奏者パール・アレキサンダー主催の「にじり口」シリーズの第二期が、ラップトップ・コンピュータを使うカール・ストーンをゲストに迎えてスタートした。エレクトロニクス関係では、第一回に中村としまると共演しているが、ミキシングボードを使用しながら外部入力されるサウンド情報を遮断する中村が、エレクトロニクス奏者と呼べるのに対して、カール・ストーンは、かつてサンプリング・ウィルス時代の大友良英とアルバム製作したように、パソコン内のサウンドファイルはもちろんのこと、その場で共演者の演奏をパソコン内に取りこんで加工しながら演奏するなど、シンセサイザーに始まる音響技術の進化を受けて、演奏スタイルを「進化」させてきたミュージシャンということができる。久しぶりに聴いたこの日の演奏から判断すると、彼はいまもそのスタイルを変えていないようだ。メディアや複製技術の発展とともに、原音という起源のイデオロギーを離れた音響が、それそのものとして自立するポストモダン的状況(ボードリヤール的に言うなら「音響のシミュラークル化」)を引き受けて音楽する演奏家というふうにいえるだろう。

 カール・ストーンは、ステージ下手にラップトップを乗せるテーブルを用意し、パソコン本体を中央に、小型のスピーカーをテーブルの両脇に置いて演奏した。上手に立ったコントラバスの前にマイクを立て、そこから伸びたシールドがパソコンに接続されている。シールドがステージの床に瀧のように垂れ下がる鈴木學の音響機器群とくらべると、いたって簡素なたたずまいである。共演者がサンプリングしやすいようにという配慮もあったのだろう、第一部の冒頭は、アレキサンダーが音質を変えるだけの静かなワンノートをアルコで出すところからスタートした。出だしのミニマルな雰囲気を保ちながら、色々なベースサウンドをノイズ的に織り交ぜていくアレクサンダーに対し、ストーンはためしに音を出してみるといった感じでほとんど演奏せず、結果的に、アレクサンダーのソロを先行させる形になった。これ対して、第二部では、反対にアレクサンダーが演奏しないでストーンに長いソロをさせる場面があった。これは意図された対照性というより、この楽器の組みあわせにおいて必然的なものだったと思う。

 人の声や民謡というような、(その場にない)異質のサウンドを使ったストーン独自のコラージュらしき演奏は、第一部の後半から少しずつあらわれてきたが、そうすると今度は、風呂敷を広げたようになるサウンド構成のなかで、コントラバスが簡単なサウンド・コメントを添えるだけの演奏をするようになる。コントラバス演奏に少し遅れて、ライヴな演奏の影のような、エコーのようなサウンドをつけること(ここで注意すべきは、「こだま」という概念が「エフェクト」という概念と異なることだろう)、あるいは複数のサウンドを構成して簡易的な作曲を施すこと、これがストーンのしていた演奏のように思われる。なぜこのサウンド・ファイルなのかという理由があるかもしれないが、即興的対話という点で見るとき、これはどちらかがどちらかに先行し、遅延するという仕方でしか話を作ることができないということを意味している。この時間的ずれのなかで引き起こされる批評性が、サンプリングがスタートした1980年代には、創造的なものと見なされたのであった。

 演奏の同時性が成立しないというのは、ラップトップのようなパソコンを使ったサンプリング音楽が登場してきた当初から、インプロヴィゼーションと共演する際の問題点だったように思う。それはたぶん、サンプリング音楽がつねに過去の一時点にある記録/記憶を扱うという点と、演奏の際にオリジナルなものをつけ加えようとすれば、サウンド断片を再構成しなくてはならないところから、そこに立ちあらわれる音楽構造そのものに、時々の即興の自由度や偶然性が阻害されてしまう点からきている。パソコン演奏は、即興演奏をしていくなかで音楽の構造を自由に選び取ったり、方向性を急転換させたりといったことが不得手の「楽器」なのである。おそらくこれは、ディスプレイ画面とマウスによる操作が、即興演奏を「インスタント・コンポージング」と呼ぶのとはまた違った、強い作曲性を帯びていることによるのではないだろうか。このような困難をあえて呼びこみ、インプロヴァイザーとして独力で立ち向かわなくてはならない状況を作り出すことが、「にじり口」シリーズの眼目である。問題の難しさに、ときに立ち往生してしまうパール・アレキサンダーだが、そのような修羅場にあえて身をさらすことが、即興演奏家にとっての音楽の冒険であることはいうまでもあるまい。



【関連記事|パール・アレキサンダーのにじり口】           ■「パール・アレキサンダーのにじり口」(2012-01-21)          http://news-ombaroque.blogspot.jp/2012/01/blog-post_21.html  ■「パール・アレキサンダーのにじり口 with 鶴山欽也」(2012-03-19)   http://news-ombaroque.blogspot.jp/2012/03/with.html

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喫茶茶会記