2012年5月4日金曜日

Julie Rousse with Tokyo Phonographers Union



Field Recordings and Soundscape Improvisations: 
Discussion & Performance
featuring Julie Rousse with Tokyo Phonographers Union
日時: 2012年5月3日(木)
会場: 東京/渋谷「Bar Isshee」
(東京都渋谷区宇田川町33-13 楠原ビル4F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: 投げ銭+order
出演: 東京フォノグラファーズ・ユニオン:
マルコス・フェルナンデス、笹島裕樹、Sawako、安永哲郎
特別ゲスト:ジュリー・ルッス
予約・問合せ: TEL.080-3289-6913(Bar Isshee)


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 サウンドアートの世界ですでによく知られているように、それが自然音であれ都市の騒音であれ、フィールド・レコーディングされた音源をコンピュータに取りこみ、サウンドファイルを演奏の素材とみなして、ライヴでそれに加工を施したり──音響ソフトによる加工からきているのだろう、「プロセス process」という言葉が使われる。この「加工」は、演奏者の身体性と深くかかわる音響エフェクトとは本質的に異なる。かたや加工されないものは「ストレート」と呼ばれる。「ストレートを使って演奏する」というように使われる──複数のオペレーターが即興的なサウンドミックスをしたりするポストメディア的な表現活動が、世界中で広がっている。そのような音のありようや表現者の総称となるような言葉として採用されたのが、「フォノグラフィー phonography」と「フォノグラファー phonographer」であり、ニューヨーク、シカゴ、シアトル、ニューイングランドなどの各地でなされるフォノグラファーたちのグループ活動が、ここでいう「ユニオン」と呼ばれるものである。打楽器奏者のマルコス・フェルナンデスがかかわる東京フォノグラファーズ・ユニオンは、2年前に活動をスタートさせたその日本版で、メンバーを固定しないゆるやかな関係性のなかで、今回パリから来日中のジュリー・ルッスをゲストに迎えたように、その時々に集まれる人間が企画を組む形で活動を継続しており、これが4回目の公演になるということであった。

 ゲストのジュリー・ルッスを中央にすえて、その左側には、Sawakoとマルコス・フェルナンデスが、右側には、安永哲郎と笹島裕樹が横一列にならんで着席し、それぞれに用意されたテーブルのうえでラップトップを開いて演奏した。ライヴは三部構成でおこなわれた。第一部では、Sawako/フェルナンデス、ルッス/安永哲郎笹島裕樹Sawakoという一列に並んだ隣のふたりどうしが組んで(最後にひとりあまった右端の笹島は最初に演奏した左端のSawakoと組む)のサウンドミックスをおこない、第二部は、ユニオンの活動を紹介するトークと会場との質疑応答、そして第三部では全員によるサウンドミックスがおこなわれた。第二部のトークのなかで、現代音楽の分野で、「サウンドスケープ」の概念を提唱したマリー・シェーファーの誕生日を記念する「ワールド・リスニング・デイ」の話があり、東京フォノグラファーズ・ユニオンもこれに参加するイベントをしてきたということから、彼らの活動に流れこんでいる音楽の水脈のひとつが想像できるように思う。

 その場で体感はできても言葉にできない漠然とした空気感、雑踏やプラットホームのアナウンスなど、聴き手にひとつの風景を喚起する場面の音、扉を閉める音、川の流れる音、雀やカラスの声、甲高い子どもたちの声、祭太鼓の響き、お寺の梵鐘、自動車の通過音、床だとかテーブルのようなものをたたく即物的な音、加工され電子ノイズ化したサウンド──現われては消えていく音を、思い出すままに順不同にならべていくと、このような感じになる。即興演奏に求められる個性が、ここでは使用されるサウンドの種類や使用するタイミングなどに見いだされている。銀幕のスクリーンに映し出される移りゆく風景のように、サウンドミックスされる時間は、通常の即興演奏のように流れゆくものとしてではなく、プールされるものとして感じられた。つまり、私たちの前に広がっている深い池の底から、いろいろなものが浮きあがってきては、また沈んでいくというイメージである。時間が流れるものとして感じられないのは、もしかすると、コンピュータのなかのサウンドファイルが、けっして消滅しないことと関係しているかもしれない。

 パフォーマンスが終わったすぐあとで、フェルナンデスがいまの演奏のどこどこがよかったと、ごく自然に、メンバーの演奏に対して講評を述べるのも興味深かった。写真に撮影会という集まりがあるように、フィールド・レコーディングにも録音会のようなものがあり、このようなライヴもまた、その場にいる観客を巻きこみながら、そうした相互鑑賞、相互批評の場の延長線上にあるものとして機能しているのではないだろうか。あらためて思い起こせば、日本には句会とか連歌という集団創造のスタイルがあり、このような芸術との集団的な関わりには長い伝統がある。よりコンサートに近い即興演奏のフィールドでは考えられないことだが、芸術の隣接領域をめぐっていけば、創造する集団のありようは、本来もっと多様だったことがわかる。かつては高級機器によっておこなわれ、選ばれしものの娯楽だった生録も、音響機器やパソコンの普及から、録音そのものが特別なものではなくなり、電子音楽コンサートのような特権的な表現空間を飛び出して、私たちの日常性のなかですでに多彩なありようを示している。そのことが、一段階うえの表現を目指すサウンドミックスそのものをも、変化させはじめているように感じられた。

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渋谷 Bar Isshee