2012年6月25日月曜日

長沢 哲: Fragments vol.9 with 吉本裕美子



長沢 哲: Fragments vol.9
with 吉本裕美子
日時: 2012年6月17日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+order
出演: 長沢 哲(ds, perc) 吉本裕美子(g)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)


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 長沢哲が主催する江古田フライング・ティーポットの月例イベント「Fragments」は、6月のゲストに東欧の旅行から帰ったばかりの吉本裕美子を迎えた。カノミを迎えた前回の公演レポートで述べたように、この即興演奏シリーズは、ゲストとホストがそれぞれソロ演奏をしてから、最後にデュオで即興セッション(ゲストが複数の場合はグループ・セッション)をするという三部構成をとっていて、二組の異質な演奏家による対話の試みをテーマにしたものである。ゲストがくりかえし招かれることもあるようで、「Fragments」シリーズは演奏家たちの間にゆるやかなネットワークを開いている。「ジャズ」や「フリー・インプロヴィゼーション」が必ずしも共通項にならない現在の即興シーンのなかで、新しい音や耳をもって即興演奏のネットワークを開こうとする試みは、長沢みずから名づけたように、3.11という鏡にゆくりなく映し出された、フラグメント(破片)化している私たちの存在を結びなおすことに他ならないだろう。この日ゲストで登場した吉本については、これまでにも、風巻隆(2010年10月14日)や高原朝彦(2012年5月1日)とのデュオを聴いてきた。ユニークなスタイルをもつこの女性ギタリストが、明け方の湖面のように、どこまでも透きとおった静かさをもつ長沢のドラミングとどうまみえるのか、期待以上のものがあった。

 ライヴの最初に、愛用のエレキギターで30分弱のソロ・パフォーマンスをした吉本裕美子については、何度やっても説明がむずかしい。少し前に、10弦ギターの高原朝彦とくらべて、「メロディやフレーズや音色に決まった形のない、コード・プログレッションのような進行もない、速度もない、自己表現的でも自己肯定的でもない、言葉を拒絶する音楽」というような説明のしかたをしたが、こんなふうにいわれても、ないないづくしではわけがわからないだろう。かわりにその場所をなにかが埋めているのだが、その説明がどうしてもうまくできない。フレットのうえを機械的にすべっていく彼女の指は、なにがしかのフレーズを生み出していくが、特別な音楽を演奏する目的でそうしているのではなく、とりあえず音を出すためにそうしているだけのようだ。演奏に始まりも終わりもなく聴こえるのは、このためである。彼女自身、時間の経過が読めず、演奏の途中でかならず時計を見る。彼女の目や耳は、楽器よりもむしろエフェクター類にフォーカスされている。出されたギター音がどのような影を帯び、色を塗られ、ぐしゃっとねじまげられて別のものになるかをひたすら追っている。そこにわずかながら演奏者の快楽が感じられる。おそらくはこれこそが彼女にとっての即興なのだろう。シンセサイザーの元音が波形であるように、彼女のギター演奏も、エレクトリックな変形を受ける前の素材でしかない。あえて比較してみるなら、まったく異なった音楽性の持ち主でありながら、吉本のギター演奏は、デレク・ベイリーが奏でるギター弦の物質性に通じるような質感をもっている。無意味さのなかを漂う感覚とアナーキーなまでの野放図さ。そういえば、ベイリーもまた、床に置いた腕時計で経過時間を確認していたが、果たしてこれは偶然の一致だろうか。

 長沢哲のドラミングは、確乎としたスタイルと美を兼ねそなえている。ミニマルなシンバルワークが、スイスの打楽器奏者フリッツ・ハウザーを連想させることは、すでに指摘した。生み出されるサウンドがよく似ているばかりでなく、しんと静まりかえった打楽世界の静謐さであるとか、サウンドを構成してアブストラクトなコンポジションをしていくようなところが、総体的にハウザーの音楽を思わせるのである。演奏の全体をおおう静謐さの密度についていえば、肌に痛いような静けさをもったハウザーのほうがうわまわるだろうか。しかし長沢にはもうひとつ、念をこめた、ていねいな打楽から生まれる太鼓類の声の暖かさと語りかけるようなリズムという側面がある。シークエンスはひとつまたひとつ変わっていくが、満天の星が降る里山の大きな沈黙を背景にしながら、ゆっくりとした増殖と減衰をくりかえす打楽というイメージの流れのなかで、聴き手は自然のたゆたいのなかに包みこまれるような錯覚を覚える。底が見えないくらい深い情感の井戸のなかに身を沈めていくような感覚。こんなにも深い安堵感を与えてくれる音楽を、いったい他のどこで聴くことができるだろう。自然とドラミングの交感ということでは、やはり富樫雅彦の名前を出さざるを得ない。ジャズファンに信じてもらえるかどうかはわからないが、富樫の衣鉢を継ぐドラマーの出現といっても、決して大袈裟ではないように思う。

 水と油ほどに違いのある音楽性をもったこのふたりの共演が成り立つのが、即興演奏の醍醐味だろう。おたがいの出方をうかがう導入部を経たあと、ソロのときよりもロック色を鮮明にしながら、アグレッシヴにサウンドをぶつけていった吉本と、ミニマルにリズムを刻みながら、短く、断片的なサウンドを散りばめることでアプローチした長沢。ギター・サウンドとの兼ねあいからか、途中で打楽がインダストリアルに聴こえる場面もあったりで、多彩にくり出されるふたりのサウンドのバラエティに酔う30分だった。無伴奏になったシンセサイザーふうのギター・ソロを橋渡しにして展開された最後の5分間では、ここまでそれぞれの場所を守ってなされていた演奏が一気に場面転換した。まるで床に敷かれた絨毯がゆっくりと部屋のすべてをおおいつくしていくように、ミニマルにリズムを刻みながら押し寄せるパルス・ドラミングの波と、その波に乗って、次第にディストーションの色合いを濃くしていくギターの咆哮が、デュオ演奏のクライマックスを描き出したのである。ふたりがたがいに対話の糸口を模索していった末の印象的なこの大団円は、長沢がタイトルの「Fragments」にこめた思いにふさわしいものだったと思う。



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   ■「長沢 哲: Fragments vol.8 with カノミ」(2012-05-31)

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江古田フライング・ティーポット