2012年7月30日月曜日

橋上幻想──橋月




橋月(はしづき)
── 橋の上の音と舞 ──
日時: 2012年7月27日(金)
場所: 東京/吉祥寺「井の頭公園」七井橋中央
(東京都武蔵野市御殿山1-18-31)
開演: 8:45p.m.~ 料金: 無料
出演: ノブナガケン(perc, vo) スコット・ジョーダン(箏)
タケシ(psaltery, musical saw)
木村由(dance) 潤湖(dance)



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 周辺住民にとってはおなじみの散歩コースだが、吉祥寺駅南口から井の頭通りに出て、丸井吉祥寺本館を右に入る坂をだらだらとくだっていくと、焼き鳥で有名な「いせや公園口店」や、野良猫がわがもの顔に出入りする店「ドナテロウズ」(いずれも老朽化にともなう建物の取り壊しで現在閉店中)などの先に井の頭公園がある。短い石段を降りて直進すると、大きな池を向こう岸までわたる七井橋が、欄干の下につけられた照明に夜目にもくっきりと浮かびあがってのびているのが見える。酷暑の7月27日(金)、池の東端にあたる、井の頭線の「井の頭公園駅」を出たすぐのあたりに、提灯をはりわたし、屋台をならべ、やぐらを組んでにぎにぎしく開かれた「井の頭ふれあい盆踊り大会」が終了する午後8時45分ごろを見はからって、太鼓橋のようにふくらんだこの七井橋の中央、おそらく遊覧ボートを見る見物客のためにあるのだろう、のりしろをつけるように左右の池にせりだしたスペースを利用して、「橋月(はしづき)~橋の上の音と舞」というゲリラ・ライヴが開かれた。のりしろ部分にミュージシャンが楽器を並べ、橋上をパフォーマンスのステージにする公演である。この橋が帰宅の近道になる人々は、夜遅くなってもとぎれることなく、ほとんど宣伝のなかったこの公演の情報を、事前につかんで見物にきた物好きな人の他にも、通りすがりに関心を引かれた人々が、三々五々橋上にかたまっていったいなにごとが起こったのかと、出来事のなりゆきを見守った。

 吉祥寺駅のほうから見て、右翼ののりしろには打楽器のノブナガケンとプサルテリー奏者のタケシが、また左翼には箏奏者のスコット・ジョーダンが位置し、おそらく騒音の苦情にも配慮したのだろう、そろそろと静かに物を移動させるような即興演奏を開始すると、ふたりのダンサーたちは、潤湖(ジュンコと読む)が吉祥寺駅側から、木村由が遊覧ボートのはしけがある側から、それぞれ橋の中央に向かってゆっくりと移動しながらパフォーマンスをした。「橋月」とはまた風流なタイトルだ(実際にも、晴れて見晴らしのよかったこの晩、遊覧ボートの船着き場のうえには月が出ていた)が、そのありようは、音と舞のコラボレーションというより、日常的な井の頭公園の橋上風景を、即興演奏が聴覚的に異化し、ダンス・パフォーマンスが視覚的に異化するというものだった。周辺環境にいくら配慮していても、この種の屋外イベントの水脈をたどれば、どうしても寺山修司の街頭演劇にまでいきつかざるをえないだろう。社会から隔離され、ライヴハウスや劇場のなか、すなわち、音楽システムや演劇システムのなかだけで許されている自由が、ほんとうは縛られた自由であることを暴露する社会的パフォーマンスといったらいいだろうか。JAZZ ART せんがわの期間中、仙川の町にくりだす倶楽部ジャズ屏風にも、あるいは10万人規模となった首相官邸前の抗議集会にも、はたまた The Tokyo Improvisers Orchestra の公演にもいえることだが、どうやら私たちは、新たな共同性を育てる新たな感覚の祝祭性を求めているように思われる。

 ダンサーの木村由は、最初のパフォーマンスを、小面の能面をつけておこなった。これは橋のうえという特殊な公演場所の性格から、能舞台の「橋懸かり」あたりが縁語になった選択だったかもしれない。欄干のライティングの他には、パフォーマンスの際に、プサルテリー奏者の隣に置かれた持ちこみの照明がともるだけ。ぼんやりと照らし出されるダンサーの、細かな表情や身振りを読みとることは不可能な環境にあって、夜目にもはっきりと映える白い能面は、演技を引き立たせ、幻想的な雰囲気をかもしだす大きな効果をあげていた。これも伝統の力ということだろうか。潤湖がところをはらうようなソロ・ダンスを踊ったのと対照的に、登場に際して、橋上のなりゆきを見守って固唾をのんでいた女学生たちを、背後から驚かせ、悲鳴をあげさせた木村由は、欄干に寄りかかる観客や通行人と(舞踏的に)からみながら、抽象化された能楽の仕舞ではなく、俗世におりてきた小面の初々しさをもって、さまざまに含みのある動きを構成していた。初々しい女性の “しな” にも見えれば、好奇心旺盛な子狸が人間に化けて出てきたようにも見える、いずれにしても、ダンスと演劇の間を綱渡りするような、あやかしのふるまいを見せたと思う。衣装を変えた第二部は、一転してスピード感を意識したものとなった。

 盆踊りが終わって警邏に人手が戻ったのか、はたまた盆踊りがあったのでいつもより巡回に力を入れているのか、橋上パフォーマンスも終盤にさしかかろうというころ、オレンジに光るライトセーバーのような警棒をもった警官がふたりやってきて、観客に立ちまじってしばらく見ていたと思ったら、やおらパフォーマンスの進行をストップさせ、責任者に事情聴取をはじめた。交通の妨げになるから、このような場所での公演はまかりならぬというのである。この一部始終を見ていた観客もまじえてすったもんだしたが、無許可のゲリラライヴをたてにとられたのではしようがない。警官は集団が散開しないことには仕事が終わらないらしく、橋上を立ち去りがたくしている人々の様子をいつまでもうかがっていた。いうまでもなく、ムンクの「叫び」が橋上で叫ばれていたように、境界的なこの場所は、身体の変容を強いる危機的な空間だといえるだろう。日常的な身体は脱ぎ捨てられ、私たちの知らないなにか別のものがあらわれる。私の写真に写ったのは、いずれも橋上にとどまろうとする人たちの影ばかりだ。出来事をかえりみることなく、鼻先でせせら笑っては、急ぎ足で日常性のなかを動いていく人たちは、映像のなかに、まるで幽霊のような透きとおった手足の残骸しか残していくことができなかった。

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2012年7月28日土曜日

【LIVE情報】長沢 哲: Fragments of FUKUSHIMA




長沢 哲: Fragments vol.11
Fragments of FUKUSHIMA
── Flags Across Borders ──
フェスティバル FUKUSHIMA! 世界同時多発開催イベント
日時: 2012年8月19日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+order
出演: 長沢 哲(drums, percussion)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)

【同時開催】
写真展「Flowers of FUKUSHIMA!
長沢卓が撮影したフクシマの山野草の花々の写真を展示


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 江古田フライングティーポットで毎月開催されている打楽器プレイヤー長沢哲のライヴシリーズ<Fragments>は、8月19日(日)の第11回公演で、福島で開催される「フェスティバル FUKUSHIMA! 」の世界同時多発開催イベントに参加するソロ・パフォーマンス「Fragments of FUKUSHIMA」を開くこととなった。福島出身者である長沢は、福島に親族や友人も多くもっているところから、3.11後に次々と伝えられる現地の被害状況や、原発の過酷事故に端を発するコミュニティの分断状態に心を痛めてきた。あえてすべてがバラバラになった場所に立って、もういちど丹念に破片を拾い集め、よりあわせていくという決意とともにはじめられた<Fragments>シリーズにおいて、長沢がライフワークにしているソロでの演奏は、本シリーズの原点に返るパフォーマンスとなることだろう。どこまでも澄みきった透明感のあるサウンドと、静かに横たわる湖のような深さをたたえた長沢哲の世界が、その本領を発揮する絶好の機会となるに違いない。

 この日、江古田フライングティーポットには、福島にいまも居住する父・長沢卓が撮影したフクシマの山野草や花々の写真も展示されるとのこと。福島と思いをつなぐ一晩にご参集いただければ幸甚である。



 【関連記事|長沢 哲: Fragments】
  ■「長沢 哲: Fragments vol.8 with カノミ」(2012-05-31)

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2012年7月26日木曜日

風巻隆ソロ・パカッション "ワンダーランド vol.2"



風巻 隆
ソロ・パカッション
"ワンダーランド vol.2"
日時: 2012年7月24日(火)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥2,200、当日: ¥2,500(飲物付)
出演: 風巻 隆(percussion)
予約・問合せ: TEL.03-3322-5564(キッドアイラック)


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 日々の暮らしに忙殺されて、最近では、なかなか楽器に触る機会ももてないでいるということであるが、今年の年頭に、稲毛のジャズスポット「Candy」で、ピアノの新井陽子と共演してからほぼ半年ぶりに、風巻にとっては古巣になる明大前キッドアイラックで、毎年恒例となるソロ・パカッションのライヴが開かれた。職業的なミュージシャンにとっては考えられないような活動ペースだろうが、音楽を生活と切り離すことなく、むしろ生活のただなかから立ちあげようとしてきた風巻隆にかぎっていうなら、天体がゆっくりと公転するようなこうした音楽の時間の刻み方も、そんなに不自然なものには感じられない。自分のためにやっている音楽の強みなのだろう。もちろんこの「自分のために」ということは、「他人のためにやっているのではない」ということを意味しない。人生の時々において、自分というものを作りあげてきたものに一生涯かかわろうとする覚悟のようなもののことである。風巻隆の打楽スタイルは、とても早い時期に確立したといっていいだろう。長い演奏活動のなかで、スネアひとつになったり、立ったまま演奏したり、新しい楽器を導入したりと、様々な変化が試みられてきたが、いまにして思えば、そのどれもが風巻らしさに彩られていたように思う。昔語りをすれば、まるで前世の話でもしているかのような世の中の変わりようだが、こんなふうに音楽をしている男もいるのである。

 太鼓面を水平にしたバスドラを、比較的高い位置でセンターにすえ、そのうしろに椅子が置かれる。その椅子に腰かけながら、スネアドラムや、それよりずっと小型の太鼓を肩から下げてたたき(音量を調節するため、子供用のスティックも使用しているとのこと)、またこの小型太鼓に加えて、シンバルやバケツなども、水平にしたバスドラの皮のうえに乗せ、太鼓面を共鳴板にして響きを確保しながら、その前に立ってたたくというのが、この日の基本的な演奏スタイルだった。アフリカの民族楽器コギリ(木琴)も、バスドラの縁に乗せてたたいていた。このコギリは、バスドラにちょうど乗るくらいの小型のもので、風巻の話によれば、本格的な民族楽器と民芸品(おもちゃ)の中間にあるようなものだという。風巻独特のサウンドということでは、シンバルの音を手のひらで変化させながら演奏するという特殊奏法もあるのだが、コギリを持参するときは、シンバル類は立てないことにしているということで、この日の演奏では聴くことができなかった。長短のスティック、マレット、素手などの他に、木製の鈴の鈴がとれたものを使用した。打楽サウンドにバラエティが生まれるだけでなく、この木製の鈴をバケツやコギリに激しくこすりつけることによって、一種インダストリアルなサウンド効果が得られる。前半と後半のいずれにおいても、山場が訪れるような最後の部分で使用された。

 水平バスドラの発想は、レカン・ニンやエディ・プレヴォーなどの演奏でも知られているが、風巻はバスドラの皮自体にアプローチして、バスドラそのものを演奏することはない。あくまでも共鳴を求めて台座のように置かれている。これは他の演奏家との大きな違いだろう。演奏構成は、楽器を変えながら、短い曲を次々につなげていくというもので、基本的にクライマックスのない音楽であった。一曲ごとに拍手をもらうということをせず、前半35分、後半50分ばかりの時間を、坦々と楽器を交換しながら進めていく。短い演奏を重ねていく構成は、演奏することがまれな身体が、少しずつ音楽する身体にみずからをチューンナップしていく一歩一歩のようで、体操をするようにマラカスをふりまわし、木製の鈴でコギリをたたき、さらにバスドラのうえに逆さにして置いたシンバルを、木製の鈴でおさえつけながら片方のスティックでたたいたかと思うと、椅子に腰をおろしてスネアの演奏に移行するという具合である。風巻ならではの不均衡なリズムは、メロディアスなトーキングドラムを思わせるものだが、打楽のサウンド構成自体にも工夫が凝らされ、スネアの皮の響きとリムショットが対話をかわしたり、片方の腕で皮面をおしてポルタメント効果を出したりと、彼がオリジナルに組みあわせた複雑な操作をしている。出されるリズムが不均衡なだけでなく、複数のサウンドがヴァーチャルな対話をかわすように演奏が工夫されているといったらいいだろうか。木製の鈴でバケツやコギリを激しくこすってインダストリアルな効果を出すという、サウンドが一色になるような演奏は、風巻にとってはむしろ例外的なクライマックスの作り方だと思う。

 風巻隆のパカッションが、一般のドラムキットを使った演奏と大きく違うのは、四本の手足を使って立体的なリズム構成をしないところにある。アプローチはひとつひとつの楽器と一対一の関係においてなされる。このような風巻の姿勢は、即興的な楽器との対話のなかから、楽器固有の声を発見することに重点を置いたものだといえるだろう。おそらくこの発想は、楽器だけに限られるようなものではなく、たたいて音の出るものならすべてということになるはずのものである。その意味において、風巻にとっての楽器は、いわばものとしてこの世にあるものすべてであり、民族楽器でもスネアでも、バケツでも子どもの玩具でも、どれも同じ資格をそなえた対話の相手になるのだと思う。そうしたもののひとつひとつから固有の声を引き出そうとするのが、風巻打楽の本質である。こうした発想が淵源する場所を、即興演奏の歴史のなかにたどっていけば、風巻隆の音楽を形作っているものが、少しずつ明らかになってくるのではないかと思う。風巻隆は一日にしてならず。たとえ一年に数度の演奏しかしなかったとしても、彼の生み出すサウンドがいまも強度をたたえ、聴くものを励起する大きなエネルギーを発するのは、けっして偶然のことではないのである。

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2012年7月23日月曜日

木村 由: 夏至



夏 至
木村 由|ちゃぶ台ダンスシリーズ 2012
日時: 2012年6月21日(木)
会場: 東京/経堂「ギャラリー街路樹」
(東京都世田谷区経堂2-9-18)
開場: 7:30p.m.,開演: 8:00p.m.
料金: ¥800(飲物付)
出演: 木村 由(dance) 太田久進(music)


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 6月21日は暦のうえでも夏至。昼が最も長くなるこの日、経堂にある小さなギャラリー「街路樹」の奥まったスペースにちゃぶ台を持ちこみ、ダンサー木村由による「夏至」のパフォーマンスがおこなわれた。2003年にスタートした「ちゃぶ台ダンスシリーズ」で使用されるちゃぶ台は、いまもダンサーが実際に使っている、親族の思い出につらなる愛用の家具なのだそうだが、それと同時に、日本人の生活史に埋めこまれた昭和の記憶とともに、畳のうえの生活という、いまではあらかた失われてしまった家族団欒の風景を強く喚起するイコンでもある。ご飯を食べる場所に足を乗せたらダメでしょ!という母親の叱責をそっと踏みつけながら、いつものように、ちゃぶ台のうえに広がる世界に足を踏み入れる。日常生活と地続きになったなんでもない場所が、ある日突然、ちょっとしたことがきっかけとなって、テーブルの高さのぶんだけ虚構度を高める。それはちゃぶ台に乗るという行為が、昨年の夏、箪笥のうえにあげたタオルケットの箱を取るためだったとしても、もともと想定されていないものだからだろう。ましてやそこで舞踏を踊ろうなどと誰が考えるだろうか。

 舞踏とちゃぶ台の関係は、木村由の場合、「ちゃぶ台のほうが色々なことを発する」というように、身体表現のための小道具といった一方的なものではないし、芝居の書き割りのように、なんらかのかたちでダンスを説明する添え物でもない。「夏至」において、ちゃぶ台はまさに踊られる舞台としてあり、その意味でこのちゃぶ台は、むしろ身体やその動きを、外側にあって枠づけるものとなっている。考えてみれば、ちゃぶ台が置かれるのもステージなのだから、これはいわば舞台のなかの舞台であり、彼女が踊っている場所は、いわば入れ子状になった世界なのである。私たちはそこでいったいなにを見ているのだろう。ひとつ言えることは、舞踏というとりとめもなく広大な世界が、ちゃぶ台ひとつで “私の世界” へとカスタマイズされるということである。誰のものでもない私だけの場所。こんなにもひそかな、こんなにもささやかな楽しみ。そのようなものを通過しながら、世界はいったんちゃぶ台という極小の一点へと凝集し、カメラ・オブスクラの穴が反転した映像を映し出すように、おそらくはちゃぶ台のうえに、すべてを逆さまに映しだす。上は下で、下は上。前は後ろで、後ろは前。右は左で、左は右。内側は外側で、外側は内側という具合に。そこで私たちが見ているのは、内側から触診された身体であり、頭蓋骨のプラネタリウムに投影された星々の輝きなのだ。身体にとって、触れることのイマジネーションを与えるためには、ステージのうえにありながら、手の届くところに、なにか皮膚に触ってしまうようなものを、自前で仮構しなくてはならない。

 作品構成にもよるのだろうが、本年度の「夏至」にかぎっていえば、おそらくそれと知られることなく、危機的な瞬間が二度訪れていたように思われる。ちゃぶ台のうえに乗るときと降りるときだ。世界が入れ子状になっているため、見られてはいけない瞬間が、衆人環視のなかにある。それはちょうどカメラ・オブスクラの穴を通して見られている映像が、さらに後ずさりすることで、穴をのぞきこんでいる人までを映像のなかにとりこんでしまうような出来事といえるだろう。この瞬間を作品の外にはじき出すため、暗転からはじめるという方法があるかもしれない。しかし木村由はそうしない。むしろちゃぶ台の世界の内側と外側を同時に生きる身体を提示しようとする。それだけでなく、最後にちゃぶ台から降りると、脚を折り畳んで壁に立てかけたりする。いままでみずからの身体を生かしていた世界を折り畳むのである。そのようにして彼女は日常性(というもうひとつの虚構の世界)へと戻ってくるのであるが、ふたつの世界の往還が、身体にとって、あるいは観客の想像力にとって、危機的な移行の瞬間であることに変わりはないだろう。色あせた緋色の長襦袢のように見える衣装で登場した「夏至」の木村由は、ちゃぶ台のわきを通過してステージ奥の位置まで進み、むこうを向いたまま、台所のざるをお面のようにかぶり、目鼻のないのっぺらぼうになった。

 「夏至」における入れ子状の世界構造は、こう書くとたいそうなものに思えるが、囲炉裏をかこむ子どもたちに古老が昔語りするという、私たちのよく知っているあの場面にたとえるとわかりやすい。すなわち、木村由の身体は、ひとつに語り部のものであり、ひとつに語り部の話のなかに、亡霊のように立ちあらわれる女性らしき誰かのものにスプリットされている。のっぺらぼうの面は、ダンサーがその誰かにこれから身体をあけわたすことを告げるものだろう。最後にちゃぶ台から降りた亡霊は、観客たちが生きている現在時へと出現して、物語の時制を一瞬だけ混乱させる。それは映画『リング』で、ブラウン管から貞子がはい出してくるのとおなじ種類の時間、すなわち、この世ならざらぬ狂気の瞬間である。亡霊はのっぺらぼうの面をゆっくりとはずす。そこにあらわれた語り部の顔は、慈愛、哀惜、悲哀といったいくつもの感情を重ねて輪郭をぼやかした、深々とした表情をたたえている。「夏至」の最後にやってくるこの深々とした表情こそが、おそらくは語ることのできない領域を語ろうとする身体表現(ダンス)の究極の形なのかもしれない。亡霊の登場、間延びした時間を生み出す所作、単色の明快さを消した表情の深みなど、いくつかの点をひろっていくと、木村由の「夏至」は、3.11後の世界が招き寄せた現代の夢幻能といえるようなものではなかったかと思う。

 夏至の日、私は亡霊を見ていた。あるいは亡霊の夢を見ていた。ちゃぶ台のうえにあらわれたそのものは、女性にしては大ぶりに感じられる手のひらを力なくたらしながら、円山応挙の幽霊画のように、表情豊かに観客のほうへとつきだす。手を前にたれて立つ亡霊の姿は、ピカドンにあった直後の広島で、熱線に皮膚を焼かれ、その痛さから手を空中にさしのべて水を求める数多の人々の姿と重なる。色あせた緋色の長襦袢を思わせる衣装は、焼けただれて垂れさがった皮膚さながらに痛々しい。亡霊はゆっくりとちゃぶ台のうえに座り、身をかがめては、ちゃぶ台のうえから奈落をのぞきこむようにしてテーブルのしたの暗がりに顔を突っこみ、身体を折り曲げてひっくりかえっては、片手をステージの床までとどかせる。私たちのいる世界に、亡霊の左手だけが突き出す。狭いちゃぶ台のうえで移り変わっていく身体のさまが、亡霊のありし日の暮らしという幻想の風景を、その周囲にたちあがらせる。ちゃぶ台のうえの亡霊が、彼女の時間をさかのぼって夢を見ている。観客もまた亡霊の見ている夢を見ているのだ。福島で何百年とつづく地獄の釜のふたが開いたからには、飛散した放射性物質が、原爆の生き地獄のなかにいまも封じこめられている亡霊を、時間をねじ曲げて招き寄せたところで、いったいなんの不思議があるだろうか。



※文中の写真は、すべて長久保涼子さんが撮影されたものです。ご協力に感謝いたします。

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2012年7月15日日曜日

The Tokyo Improvisers QUARTET: 中空のデッサン Vol.28



The Tokyo Improvisers QUARTET
Un croquis dans le ciel Vol.28
中空のデッサン

日時: 2012年7月13日(金)
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:30p.m.~
料金: 2,800円(飲物付)
出演: テリー・デイ(bamboo flutes, percussion)、Miya(flute)
岡本希輔(contrabass)、森 順治(as, bcl)
問合せ: TEL.0422-72-7822(サウンド・カフェ・ズミ)


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 10年以上前からロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラのメンバーであったことが、今回の来日に結びつく直接のきっかけとなっているが、ジャズや即興演奏も視野におさめた創造的な英国の音楽シーンに幅広くかかわってきた多楽器奏者にして詩人、冗談好きで、根っからの自由人であるテリー・デイの来日は、伝統的に「即興道」とでも呼びたくなるような高邁な理論や美学、あるいは一種の精神主義に傾きがちな日本の即興シーンに、もっとベーシックな次元で、ものづくりに欠くことのできない創造的なエネルギーの快活さと解放感を与えている。1940年生まれのデイは、今年72歳になるわけだから、どんなに軽妙なふるまいをしたとしても、私たちの目の前にいるのが歴戦の強者であることはたしかなのだが、そうした権威的な部分をまったく感じさせないほど、彼の行動はすべてにわたって風のように自由闊達だ。生き方がそうさせるのだろうか。ひところであるなら、テリー・デイの来日は、重要な音楽的出来事として注目を浴びただろうが、趣味の分散化が、多様性よりも無関心に結びつくことの多いこの国の現状では、大きな波及効果はのぞめない。TIOの初公演を含むこの春のリカルド・テヘロの来日時にも、吉祥寺ズミで「中空のデッサン」のセッションがおこなわれたが、今度も同じ形のセッションが組まれた。即興演奏を絵画的に表現するのは、わかりやすさに配慮した岡本希輔のアイディアだが、井の頭公園を眼下に見おろすビルの7階と、文字通り「中空」に浮かぶカフェ・ズミでの公演には、さらにぴったりのネーミングとなっている。

 二部構成のライヴのうち、前半は、中断なく演奏されていくソロを中心としたもので、後半は、全員参加のカルテット演奏となった。あえていうならば、前者はフリー・インプロヴィゼーションふう、後者はフリージャズふうということになるが、そのようなジャンル意識はすでに誰も持っていない。後半のカルテットは、下手から上手に、森順治、岡本希輔、Miya、テリー・デイの順でならんだ。この順番には意味があり、センターに岡本希輔と Miya というTIOの世話人が並び立ち、下手側の森順治/岡本希輔、上手側の Miya/デイという大きなグルーピングがなされている。しかしながら、前半でソロに固執した Miya が意識的にデュオになることを回避したため、森順治/岡本希輔の組合わせは頻繁にあらわれたものの、Miya/デイの組合わせは(はっきりとした形では)あらわれなかった。あるいは “ずれ” の形であらわれた。センターに歩み出てソロをしていく出だしから順にたどって以下に構成を記す。各数字は便宜的区分けで、演奏は切れ目なくおこなわれた。森順治はアルトとバスクラを、またデイは竹笛と打楽器を持ち替えてヴァラエティを出した。また Miya の「on chair」は、彼女が座って演奏したことを意味する。ちなみに、テリー・デイはずっと座ったままで演奏した。

 (1)岡本|Miya|森順治(as)|Day(竹笛)
 (2)岡本 - 森順治(bcl)+ Day(竹笛)
 (3)Miya|岡本|森順治(as)
 (4)岡本 - 森順治 - Day(perc)
 (5)Miya(on chair)|Day(竹笛)like Miya's sound|Miya(on chair)
 (6)岡本 - 森順治(as)+Day(perc)

 ソロ演奏において、オールラウンドなスタイルを持っている岡本に対し、楽器を変則的に演奏することの少ない Miya は、音を濁らせるよりむしろアブストラクトなメロディーを奏でることのほうが多く、森順治はみずからのジャズ的な資質に忠実に演奏し、打楽器を別にすると、テリー・デイの竹笛は、篳篥のような高い音で演奏されることもあるが、この日は音塊と化したファゴットのような、あるいは動物の声のような、いわくいいがたい不思議なサウンドを出していた。即興カルテットのサウンドや奏法にはヴァラエティがあり、個性豊かではあるが、ボケとツッコミという対話の常道に照らしてみると、カルテットのメンバーはいずれも受けて演奏するタイプのプレイヤーのように思われた。おそらくはそのために、アンサンブルのバランスはとっても、なかなか相手の領域にまで踏みこんでいかないということが起きたのではないだろうか。そのなかでテリー・デイは、状況を的確に読んで対話を試みていたが、竹笛による演奏も、小型タンバリンを使った打楽器演奏も、そっと音を添えるような感じで、場に対して一種のコメンタリー(注釈)をおこなうような性格のものだった。この日の即興セッションで構造的なものを示したのは、前半では寡黙さを通し、後半では一転してひたすら疾走するという、ふたつの対照的な姿勢をとった Miya の演奏だったと思う。

 カルテット演奏の後半、Miya が疾走するのをやめたあと、最後まで持続する10分ほどの凪のような時間帯に、誰がソロをとるというのでもない、サウンドが飽和状態のようになった瞬間がやってきた。ソロ・インプロヴィゼーションのフィーチャーからフリージャズ的な集団即興、さらに粒子のブラウン運動を思わせるサウンド・ホーリズムの世界と、「中空のデッサン」にあらわれたこれらの演奏は、即興シーンの別々の時期に体験された別々のスタイルであり、同時に、歴史的な出来事ともいえるようなものだが、それがこの一晩に、カルテットによって一篇の物語としてたどられたのである。この物語の最後のフェーズにあらわれたサウンド・ホーリズムの世界が、おそらくは私たちが現在いる場所であり、たとえば、TIOで試みようとしている音楽が、そこから未来の世界をどう切り開いていくのか、という位置関係になっていると思われる。たくさんのインプロヴァイザーが集まればどうにかなるという発想なら、このうえなく安易な話にすぎないだろうが、ロンドンと東京の即興シーンを結ぶこと、あるいはテリー・デイという異邦人の周囲に雑多な演奏家が集まることをとおして、少し世間を広くしてみることが、私たちが立っている現実をよりよく知る第一歩になるのではないだろうか。

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2012年7月13日金曜日

The Tokyo Improvisers Orchestra 第2回公演迫る



フルートの Miya 
コントラバス/チェロの岡本希輔
ふたりがスタートさせたのは
即興演奏家たちのためのプラットフォーム
<東京インプロヴァイザーズ・オーケストラ>(TIO)
英国から来日中のテリー・デイをゲストに迎え
その第二回公演がおこなわれる


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 今年になってスタートしたこの即興オーケストラは、公演に向けて定期的にメンバーを集めたリハーサル・ワークショップを開いており、そのつど全員が顔を揃えられるわけではないにしても、コンダクションと呼ばれる「指揮される即興」の方法を中心とするオーケストラ音楽の作り方を周知したり、みずからコンダクションを試してみたり、公演に向けてのモチベーションを高めたり、日頃はなかなか機会のないメンバー相互の交流を密にしたりという、いくつもの重要な役割を果たしている。先月末の6月30日、来日直後のテリー・デイをメンバーに紹介するこの日、府中市朝日町にある東京外国語大学の大学会館で開かれたリハーサル・ワークショップの模様を見学させていただいた。日の暮れかかる夕方の4時から夜の8時にかけて、4時間もの長丁場ながら、ところどころで途中休憩をはさみつつ、みっちりとした合意形成の場が形作られていた。

 リハーサル・ワークショップは、大きくふたつの部分に分かれていて、最初のパートでは、講師役をつとめる entee が、基本的なハンドキューの示す意味と用法、またそのハンドキューを使ってオーケストラをどう鳴らすことができるかを、実際に演奏してみせる部分である。レクチャーの前に大音量のトゥッティ演奏がおこなわれ、entee が全体の音量バランスを調整する。その後で、ベーシックなものから高度なものへと説明は段階的に進むが、過去に使われたハンドキューのうち、これも大事ではないかということがメンバーから提案され、それもリハーサルのなかで再確認されるという意味では、とりあえずの講師はおかれているが、ありようはむしろ集団創造されるコンダクションとでもいうべきものになっていて、過去の権威化された指揮法をまるごと採用するといったものではなかった。即興演奏家たちが、自分たちの集団即興のために、約束事をその都度再構成していくようなフレキシブルなありかたをしている。このハンドキュー講義の間に、Miya に同道されたテリー・デイがやってきた。基礎的なハンドキューの確認作業のあと小休止、再開してから Miya が説明に立ち、メンバーの間から選ばれた指揮者が実際にコンダクションをしてみることになる。それぞれに集団即興のイメージを固め、必要ならば事前に自分の意図を解説するメールなどを送付し、さらにコンダクション前の説明とコンダクション後の意見交換を重ねていく。この日は、中垣真衣子(ヴァイオリン)、木野彩子(ダンス)、山田光(リード)、高橋英明(電子楽器)、テリー・デイの順番で進み、そして、ここからは次回に備えた練習ということで、時間いっぱいまで Miya、細田茂美(ギター)、カイドーユタカ(コントラバス)、entee が指揮に立った。

 ほとんどすべてのメンバーと初対面のテリー・デイは、空き時間を見つけては個々のメンバーに話しかける努力をし、ひとりひとりの名前を覚えることからオーケストラへの接近をスタートした。最初は、どのようなことが起こっているのか、リハーサルの進展を静観していたが、2時間ほどが過ぎるうち、山田光のコンダクションのときに、持参した鞄のなかから竹製の細い笛を取り出し、篳篥のような高い音で音出しをはじめた。その次に指揮に立った高橋英明が、コンダクションの過程でデイにソロをふるということもあり、少しずつオーケストラの集団性に慣れていったところで、彼が実際に指揮をしてみる番がやってきた。テリー・デイは、細かいハンドキューの約束事は使わず、自作の詩を朗読しながら、いわばそれを譜面がわりにして即興演奏をアレンジしていくというやりかたをしてみせた。パフォーマンス性にあふれたアクティヴな彼のコンダクションは、ちょうどひとりひとりの名前を覚えようとしてきた延長線上にあるかのように、メンバーとの間に一対一の関係性を求め、個々の演奏者の前まできては、詩の言葉に即興で応じるよう身振りするのである。そうしたソロの対話は全員による即興的トゥッティに何度も戻っていく。この部分は「指揮された即興」というより、むしろ一種のコール・アンド・レスポンスのように聴こえた。テリー・デイがメンバーにもたらした情熱と快活さは、またたく間に彼をメンバーの一員としたのである。

 銀座七丁目の「Space 潦(にはたづみ)」で開催された spaceone の音楽週間の第二夜で、岡本希輔がキュレートした「ドガの踊り子たち」(7月2日)もまた、TIOをプラットフォームにするプログラムのひとつだった。周辺の表現領域も視野に入れながら、ミュージシャンたちが自分たちの拠点となるような場所を持とうとするプロジェクト spaceone との交流は、TIOにとっても重要な出来事ではなかったかと思われる。テリー・デイ来日をきっかけに、ミュージシャンたちの間に緩やかなネットワークを作り出していくことができるなら、それはかならずや、新たな音楽創造へとつながっていくはずだということを、彼らは確信しているようだ。リカルド・テヘロを特別ゲストに迎え、今年の3月10日に浜田山会館で開催された第一回<TIO公演>につづき、東京中野にある野方区民ホールで開催される第二回<TIO公演>は、音楽創造の現場であることはもちろんのこと、こうした日常性のなかのミュージシャン・ネットワークを可視化する象徴的な役割も持っている。世界的な規模で起きている現在進行形の出来事の一端を、この日本で居ながらにして目撃できる絶好のチャンスになることだろう。



※写真はすべて外語大の学生会館でおこなわれたリハーサル・ワークショップの模様。上から順番に、この日コンダクションに立ったメンバーのうち、テリー・デイ、(ハンドキューの意味を解説する)entee、高橋英明、Miya、カイドーユタカの諸氏の順でならんでいる。

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The Tokyo Improvisers Orchestra
2nd Concert
日時: 2012年7月16日(月・祝)
会場: 東京/中野「野方区民ホール」
(東京都中野区野方5-3-1)
開場: 7:00p.m.、開演: 8:00p.m.
料金/予約: ¥2,000、当日: ¥2,500、学生: ¥1,500
問合せ: TEL.03-6804-6675(Team Can-On
E-mail: team.can-on@miya-music.com

The Tokyo Improvisers Orchestra
violin: 島田英明 中垣真衣子 小塚 泰
cello: 岡本希輔 contrabass: カイドーユタカ Pearl Alexander
flute: Miya bamboo flute: Terry Day
oboe, English horn: entee reeds: 堀切信志 森 順治 山田 光
trumpet: 横山祐太 金子雄生 trombone: 古池寿浩
guitar: 臼井康浩 細田茂美 吉本裕美子
electronics: 高橋英明 drums: 荒井康太
percussion: 松本ちはや percussion, vo: ノブナガケン
piano: 荻野 都 照内央晴 voice: 蜂谷真紀
reading: 永山亜紀子 dance: 木野彩子 佐渡島明浩

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相良ゆみ+飯田晃一+竹田賢一@間島秀徳展



間島秀徳展「KINESIS──時空の基軸」
── 第七夜:相良ゆみ飯田晃一竹田賢一 ──
日時: 2012年7月11日(水)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥2,000、当日: ¥2,500、学生: ¥1,500、通し券: ¥10,000
出演: 相良ゆみ(舞踏) 飯田晃一(舞踏)
竹田賢一(大正琴、その他)



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 ここでいったんまとめれば、「崇高の美学」でいわれる「崇高」の感覚というのは、大自然を目の前にしたとき、言葉を奪われ、めまいや恐怖の感情をともなって圧倒されるような出来事に襲われることであった。そこに崇高なるものに対する表現の不可能性が感じられているからこそ、登山や潜水によるそうした世界への侵入が、表現(という欲望)の狂気でもあり、同時に、神聖さでもあるような価値観を生んでいくということである。崇高なるものへの接近によって作品そのものが光を帯びはじめ、磁場のように、いくぶんかのエネルギーを帯電するようになるといったらいいだろうか。みずからを土中を掘り進む盲目のもぐらに擬したドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」概念は、このような彼方に見える神的なるものの再生産を回避し、人間がどこまでも触覚的な世界を生きていることを、縦横に土中を走る根茎のような錯綜するテクスト群によって、あらしめようとしたものと考えることができる。対立するこのふたつの世界観が、どうやら KINESIS シリーズには、ふたつながら持ちこまれているように感じられる。というのも、登山家や潜水夫が見るような作品は、全体を俯瞰しなくては成立しないにもかかわらず、実際に私たちがそこで見るのは、どこまでも部分の集積か断片のようなものでしかなく、完成された作品を世界(のビジョン)につなげるためには、展示における建築学的配慮が必要になってくるという事態が、ここで起こっていることではないかと考えられるからである。「日本画」という概念自体が、絵画にナショナルなイデオロギーを持ちこむ点で、モダニズムの産物といえるものだが、間島秀徳の KINESIS シリーズは、そのような日本画におけるポストモダン──すなわち「日本画」を超えるもの──と呼ぶべきものと、東洋における崇高なるものの回復というモダニズム再興を、背中あわせにした作品群ではないかと思われる。

 間島秀徳展「KINESIS──時空の基軸」最終日には、大正琴の竹田賢一がサウンド構成を考え、ダンサーの相良ゆみと飯田晃一が、場所をわけあったり、動線をクロスさせたりしながら舞踏するという、多焦点のパフォーマンスがおこなわれた。会場のあちらこちらで、いくつもの出来事が同時多発的に起こっていく。あるイベントに気をとられると、他の場所で起こっていることが見たり聞いたりできなくなる。長谷川六のソロ・パフォーマンスという転調に、さらなる転調を重ねるプログラム構成は、一週間の間島秀徳展にダイナミックな効果をもたらしたと思う。ジッポライター大のボイスレコーダーを10個ばかり用意した竹田賢一は、演奏をはじめる前に、それらを会場のあちこちに配置した。手元には大正琴とコンピュータ音源、さらにアジアの竹楽器(これはダンサー用のもの)を用意したが、終演後の雑談のなかで、円柱表面の文様にふさわしいサウンド構成を心がけたといった。まさにそのように音量は低くおさえられ、会場全体がざわざわとする暗騒音のなかで、観客は聴覚を分散され、ふたりのダンサーのパフォーマンスを、脈絡のない同時多発イベントとして体験することとなった。ふたりのダンサーは、円柱の周囲はもちろん、会場のいたるところで踊った。音響ブースのある階上のテラスに登ったり、クライマックスで表通り側の扉を開けるなど、このホールを最大限に利用しつくした。

 明快なステージのない状態、あるいは演奏が聴かれても聴かれなくてもいいような状態、すなわち、サウンドが音を聴こうとする耳の背後に退いていく暗騒音のざわめきのなかで、ダンサーの身体は、響きとの間に図と地の関係を描き出し、観客の意識の前面に突出した。竹田賢一のサウンド構成が、時間的に進行することのないプール状態にあったため、ふたつの身体が描き出すそれぞれの出来事のセリーこそが、音楽的なものを提供することになったといえるだろう。逆の方向からいうなら、竹田賢一の演奏は、文字通り、KINESIS の表面に擬態していた。かたや相良ゆみの舞踏は、尻から細い糸を出しながら歩行する蜘蛛のように、けっしてからみあうことのない一本のラインのうえを、するするとすべるように流れていく。身体の動きを先導するように大きく広げられる彼女の両手は、息をのむほどにダイナミックで、身体の潜勢力をたたえた魔術的なものだった。相良のアルカイックな顔立ちを生かすくすんだオレンジ系の和服は、KINESIS 作品の水のイメージに対置された火のビジョンを帯びていた。火の国の巫女は、和服の下に薄い水色のシュミーズをまとい、パフォーマンスの途中で和服を脱ぎ捨てると、蛹が蝶に変態するように、火のイメージから水のイメージへと変化した。即興的パフォーマンスというより、これはひとつの構成美を見せるものだったろう。

 流れるような相良のラインとは対照的に、飯田晃一のダンスは、スムーズな時間の流れを切断する突発的な出来事を、次から次へと招き寄せていくものであり、場面を交換していく演劇的要素の強いパフォーマンスだった。開演するなり全裸になることを手はじめに、床のうえで全身をバタバタと痙攣させ、シャツ姿で階上のバルコニーから大音声で絶叫し、高尾山のご朱印帳を両手にもって、階下にいる観客の頭上でひらひらとさせ、さらにそのままスタッフ用の通路をたどると、下で踊っていた相良の頭にご朱印帳を落とし、ふたたび階下に戻ってくると、今度はステージ中央で断髪式をはじめ、切った髪の毛で相良とひとつの場面を作ると、ふたたび全裸になってカメラマンのフラッシュを浴び、クライマックスの場面では、相良とともに表通りの扉を開け、誰にともなく「行こう!」と呼びかけるなど、盛りだくさんのアイディアを詰めこんで、一時間を疾走しつづけた。出来事はあらかじめ出来事なのではなく、状況のなかである強度を持つにいたるとき、私たちの世界を構成するこの時間を切断するものとして、世界の外部からやってくるというようにいえるものと思うが、これらのアクトは、ダンス・パフォーマンスだけが引き起こすことのできる身体的な出来事というより、前述したように、様々な演劇的アイディアをコラージュしたもののように感じられた。

 二本の円柱がそびえる神殿のような KINESIS の磁場に対して、ノイズが暗騒音のようにざわめくサウンド構成をした竹田賢一は、みずからも磁場の一部に擬態することで対立を解消し、巨大な蜘蛛のように会場を優雅に歩きまわった相良ゆみは、じっくりと時間をかけて二本の円柱の間に無数の糸を張りめぐらしていき、高天原で暴れまわるスサノオそのものだった飯田晃一は、KINESIS の磁場から逃れようと万策を尽くしていた。「KINESIS──時空の基軸」における三者三様の身の置きどころから、観客は、同時多発する異質な出来事のただなかに放り出される格好となった。しかしながら、そのような危機的瞬間の連続は、二本の円柱の間で飯田晃一が捧げ持った髪の毛を、相良ゆみがつかみあげる瞬間から、観客の視線をやさしく迎える場面へと転換する。おそらくここには、対立から和解へという、想定されたひとつの物語があったはずである。KINESIS の磁場や竹田の演奏からやってきたものではなく、演劇的な配慮にしたがった物語への欲望。クライマックスの特異点をもたない世界において、身体が祝祭性をもつために欠くことのできない「劇的なるもの」への欲望がそこにあった。



   ※2012年8月3日に最終改稿。

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