2012年7月2日月曜日

高原朝彦+長沢 哲@八丁堀 七針



高原朝彦長沢 哲
日時: 2012年6月30日(金)
会場: 東京/八丁堀「七針」
(東京都中央区新川2-7-1 オリエンタルビルB1F)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000
出演: 高原朝彦(10string guitar, ARIA/SINSONIDO electric guitar)
長沢 哲(drums, percussion)
問合せ: TEL.07-5082-7581(七針)


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 動の高原朝彦と静の長沢哲という、対照的な音楽性を持ったふたりのインプロヴァイザーによる初共演のデュオが、七針でおこなわれた。両者が出会うことになったのは、長沢が江古田フライング・ティーポットで毎月開いている「Fragments」シリーズに、高原朝彦とコントラバスの池上秀夫からなる “ベアーズ・ファクトリー” が招かれた(2011年12月18日)ことに端を発する。ベアーズ・ファクトリーのふたりは、やはりゲスト奏者を招いて即興セッションするシリーズを阿佐ヶ谷ヴィオロンで主催しており、すでに長い共演歴を持っているが、灯台下暗しというのだろうか、かえってこのふたりでデュオ演奏をすることはまれなのだという。「Fragments」公演では、この珍しいベアーズ・ファクトリーのデュオと、長沢のライフワークである打楽器ソロ、そして最後にトリオ演奏がおこなわれたため、このときには高原と長沢のデュオは実現しなかった。今回デュオをすることになった長沢は、林栄一と高原のセッションを高円寺グッドマンで聴くなど、じゅうぶんに気持ちを準備して臨んだようである。長髪をゴムで束ねて頭のうしろにたらすという野武士の風格を持った長沢が、先輩との共演に際して威儀を正し、演奏の前に一礼してはじめる姿は、まるで剣道の他流試合を見るようで、いかにも彼らしいふるまいだった。

 高原朝彦は、このところ吉本裕美子や林栄一とのデュオ演奏でとっているのと同様のスタイルを踏襲し、前半ではいつもの10弦ギターを、また後半ではシンソニードの電気ギターを使用した。10弦ギターでは、アンプ増幅によってカラフルに色づけされたノイジーなプリペアド・サウンドが中心となり、電気ギターでは、ディストーションされたサウンドがスペイシーに展開するロック的なアプローチを見せる。響きのあらわれに大きな違いはあるが、いずれの場合も、演奏の中心的なイメージとなるのは、サウンドが高速度で空間を切り開いていくときに生まれる、すべてを溶かしてしまうような白熱のエクスタシーである。まるでロケット・エンジンの噴射のようといえばいいだろうか。即興演奏をしながらこの脱自的境地に入るため、高原はみずからをかきたてるための全身表現をする。共演者のいないソロ演奏の場合、それは往々にして、自己触発する振幅の大きい呼吸の使い方にあらわれることになるが、静物的な世界からやってきた長沢哲に対するパフォーマンスでは、全身が汗まみれになるほど動きまくった。ギター演奏のスタイルそのものがパフォーマティヴなのだが、さらにこの晩は、長沢に身体を向けて挑発するだけでなく、最後には、座っていた椅子から立ち上がってドラムの前に仁王立ちになり、長沢の顔をダイレクトにのぞきこむような接近戦にまでおよんだ。阿佐ヶ谷ヴィオロンではまず見ることのできない光景であるが、これはたぶんスペースの広さに制限があることや、ライヴのホスト役という事情も手伝っているのだろう。

 対する長沢哲は、鍛錬された野武士のように、こうした高原のアグレッシヴなアプローチにも泰然自若とした態度を崩すことなく、彼ならではの語りかけるようなリズムの調子を保ちながら、ゆったりとしたバイブレーションによって、高速回転するギター演奏の対極となるようなものを構成した。だからといって、長沢の選択が高原の演奏を阻害したというようなことではまったくない。全速力での疾走をつねに準備している高原のちょっとあとを、オリジナルなテンポで歩きながら、砕片化されるギター・サウンドにカラフルな影をつけていく効果も印象的だったが、この “ずれ” の美学は、そもそもひとつの音世界を、白熱した熱球が溶けていくような方向と、流れの底に深く沈みこんで形をなくしていくような方向に引っぱることで、極めて自由度の高い、広大な音楽世界を実現することになったあらわれのひとつだったように思う。デュオによって織りなされるふたつのラインを同期させることで、音の世界をひとつのアンサンブルにまとめあげてしまうのではなく、このように真逆のふたつの極に引き裂いて、無窮動の動きのなかにすべてのサウンドを解き放っていくような演奏は、周知のように、フリージャズの集団即興でもしばしば聴かれるところである。「楕円の音楽」という言い方があるが、ある意味では、このような音世界の創造は、デュオ・インプロヴィゼーションの理想型といってもいいだろう。

 高速度で回転する高原のギター演奏は、突然、はっと我にかえったように、古楽の、あるいは古い民謡のメロディを奏でることがある。それは高原の愛するフォーキーなギター演奏の世界をのぞかせるものであるのだが、それだけでなく、この印象的な瞬間は、彼の演奏のなかの忘れられない風景のひとつを形作っていて、インプロヴィゼーションで聴かせる高速の世界と真逆の方向というよりむしろ、熱狂のただなかでふと覚めて立ち止まってしまうような、往き道にはかならず帰り道があることを聴き手に思い出させるような、もうお家に帰らなくちゃと独り言をいうような、そんな感傷的ドラマツルギーを描き出すものとなっている。彼の演奏の振幅の大きさ、音楽のダイナミズムは、こんなところからも生まれてくるようである。デュオにとって初共演となるライヴをエレキギターで務めた第二部の後半にも、この印象的な場面が登場した。トロットロッと小声でつぶやく太鼓を片耳に、エフェクトをかけたノイズをループしながら、ナチュラルな弦のつま弾きをしてみせた場面である。電気ギターの大きな翼をのびのびと広げてみせた直後のこの演奏は、第二部がエレキ・セクションであることをふまえた見事なクロージングであった。

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