2012年7月30日月曜日

橋上幻想──橋月




橋月(はしづき)
── 橋の上の音と舞 ──
日時: 2012年7月27日(金)
場所: 東京/吉祥寺「井の頭公園」七井橋中央
(東京都武蔵野市御殿山1-18-31)
開演: 8:45p.m.~ 料金: 無料
出演: ノブナガケン(perc, vo) スコット・ジョーダン(箏)
タケシ(psaltery, musical saw)
木村由(dance) 潤湖(dance)



♬♬♬



 周辺住民にとってはおなじみの散歩コースだが、吉祥寺駅南口から井の頭通りに出て、丸井吉祥寺本館を右に入る坂をだらだらとくだっていくと、焼き鳥で有名な「いせや公園口店」や、野良猫がわがもの顔に出入りする店「ドナテロウズ」(いずれも老朽化にともなう建物の取り壊しで現在閉店中)などの先に井の頭公園がある。短い石段を降りて直進すると、大きな池を向こう岸までわたる七井橋が、欄干の下につけられた照明に夜目にもくっきりと浮かびあがってのびているのが見える。酷暑の7月27日(金)、池の東端にあたる、井の頭線の「井の頭公園駅」を出たすぐのあたりに、提灯をはりわたし、屋台をならべ、やぐらを組んでにぎにぎしく開かれた「井の頭ふれあい盆踊り大会」が終了する午後8時45分ごろを見はからって、太鼓橋のようにふくらんだこの七井橋の中央、おそらく遊覧ボートを見る見物客のためにあるのだろう、のりしろをつけるように左右の池にせりだしたスペースを利用して、「橋月(はしづき)~橋の上の音と舞」というゲリラ・ライヴが開かれた。のりしろ部分にミュージシャンが楽器を並べ、橋上をパフォーマンスのステージにする公演である。この橋が帰宅の近道になる人々は、夜遅くなってもとぎれることなく、ほとんど宣伝のなかったこの公演の情報を、事前につかんで見物にきた物好きな人の他にも、通りすがりに関心を引かれた人々が、三々五々橋上にかたまっていったいなにごとが起こったのかと、出来事のなりゆきを見守った。

 吉祥寺駅のほうから見て、右翼ののりしろには打楽器のノブナガケンとプサルテリー奏者のタケシが、また左翼には箏奏者のスコット・ジョーダンが位置し、おそらく騒音の苦情にも配慮したのだろう、そろそろと静かに物を移動させるような即興演奏を開始すると、ふたりのダンサーたちは、潤湖(ジュンコと読む)が吉祥寺駅側から、木村由が遊覧ボートのはしけがある側から、それぞれ橋の中央に向かってゆっくりと移動しながらパフォーマンスをした。「橋月」とはまた風流なタイトルだ(実際にも、晴れて見晴らしのよかったこの晩、遊覧ボートの船着き場のうえには月が出ていた)が、そのありようは、音と舞のコラボレーションというより、日常的な井の頭公園の橋上風景を、即興演奏が聴覚的に異化し、ダンス・パフォーマンスが視覚的に異化するというものだった。周辺環境にいくら配慮していても、この種の屋外イベントの水脈をたどれば、どうしても寺山修司の街頭演劇にまでいきつかざるをえないだろう。社会から隔離され、ライヴハウスや劇場のなか、すなわち、音楽システムや演劇システムのなかだけで許されている自由が、ほんとうは縛られた自由であることを暴露する社会的パフォーマンスといったらいいだろうか。JAZZ ART せんがわの期間中、仙川の町にくりだす倶楽部ジャズ屏風にも、あるいは10万人規模となった首相官邸前の抗議集会にも、はたまた The Tokyo Improvisers Orchestra の公演にもいえることだが、どうやら私たちは、新たな共同性を育てる新たな感覚の祝祭性を求めているように思われる。

 ダンサーの木村由は、最初のパフォーマンスを、小面の能面をつけておこなった。これは橋のうえという特殊な公演場所の性格から、能舞台の「橋懸かり」あたりが縁語になった選択だったかもしれない。欄干のライティングの他には、パフォーマンスの際に、プサルテリー奏者の隣に置かれた持ちこみの照明がともるだけ。ぼんやりと照らし出されるダンサーの、細かな表情や身振りを読みとることは不可能な環境にあって、夜目にもはっきりと映える白い能面は、演技を引き立たせ、幻想的な雰囲気をかもしだす大きな効果をあげていた。これも伝統の力ということだろうか。潤湖がところをはらうようなソロ・ダンスを踊ったのと対照的に、登場に際して、橋上のなりゆきを見守って固唾をのんでいた女学生たちを、背後から驚かせ、悲鳴をあげさせた木村由は、欄干に寄りかかる観客や通行人と(舞踏的に)からみながら、抽象化された能楽の仕舞ではなく、俗世におりてきた小面の初々しさをもって、さまざまに含みのある動きを構成していた。初々しい女性の “しな” にも見えれば、好奇心旺盛な子狸が人間に化けて出てきたようにも見える、いずれにしても、ダンスと演劇の間を綱渡りするような、あやかしのふるまいを見せたと思う。衣装を変えた第二部は、一転してスピード感を意識したものとなった。

 盆踊りが終わって警邏に人手が戻ったのか、はたまた盆踊りがあったのでいつもより巡回に力を入れているのか、橋上パフォーマンスも終盤にさしかかろうというころ、オレンジに光るライトセーバーのような警棒をもった警官がふたりやってきて、観客に立ちまじってしばらく見ていたと思ったら、やおらパフォーマンスの進行をストップさせ、責任者に事情聴取をはじめた。交通の妨げになるから、このような場所での公演はまかりならぬというのである。この一部始終を見ていた観客もまじえてすったもんだしたが、無許可のゲリラライヴをたてにとられたのではしようがない。警官は集団が散開しないことには仕事が終わらないらしく、橋上を立ち去りがたくしている人々の様子をいつまでもうかがっていた。いうまでもなく、ムンクの「叫び」が橋上で叫ばれていたように、境界的なこの場所は、身体の変容を強いる危機的な空間だといえるだろう。日常的な身体は脱ぎ捨てられ、私たちの知らないなにか別のものがあらわれる。私の写真に写ったのは、いずれも橋上にとどまろうとする人たちの影ばかりだ。出来事をかえりみることなく、鼻先でせせら笑っては、急ぎ足で日常性のなかを動いていく人たちは、映像のなかに、まるで幽霊のような透きとおった手足の残骸しか残していくことができなかった。

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