2012年7月15日日曜日

The Tokyo Improvisers QUARTET: 中空のデッサン Vol.28



The Tokyo Improvisers QUARTET
Un croquis dans le ciel Vol.28
中空のデッサン

日時: 2012年7月13日(金)
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:30p.m.~
料金: 2,800円(飲物付)
出演: テリー・デイ(bamboo flutes, percussion)、Miya(flute)
岡本希輔(contrabass)、森 順治(as, bcl)
問合せ: TEL.0422-72-7822(サウンド・カフェ・ズミ)


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 10年以上前からロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラのメンバーであったことが、今回の来日に結びつく直接のきっかけとなっているが、ジャズや即興演奏も視野におさめた創造的な英国の音楽シーンに幅広くかかわってきた多楽器奏者にして詩人、冗談好きで、根っからの自由人であるテリー・デイの来日は、伝統的に「即興道」とでも呼びたくなるような高邁な理論や美学、あるいは一種の精神主義に傾きがちな日本の即興シーンに、もっとベーシックな次元で、ものづくりに欠くことのできない創造的なエネルギーの快活さと解放感を与えている。1940年生まれのデイは、今年72歳になるわけだから、どんなに軽妙なふるまいをしたとしても、私たちの目の前にいるのが歴戦の強者であることはたしかなのだが、そうした権威的な部分をまったく感じさせないほど、彼の行動はすべてにわたって風のように自由闊達だ。生き方がそうさせるのだろうか。ひところであるなら、テリー・デイの来日は、重要な音楽的出来事として注目を浴びただろうが、趣味の分散化が、多様性よりも無関心に結びつくことの多いこの国の現状では、大きな波及効果はのぞめない。TIOの初公演を含むこの春のリカルド・テヘロの来日時にも、吉祥寺ズミで「中空のデッサン」のセッションがおこなわれたが、今度も同じ形のセッションが組まれた。即興演奏を絵画的に表現するのは、わかりやすさに配慮した岡本希輔のアイディアだが、井の頭公園を眼下に見おろすビルの7階と、文字通り「中空」に浮かぶカフェ・ズミでの公演には、さらにぴったりのネーミングとなっている。

 二部構成のライヴのうち、前半は、中断なく演奏されていくソロを中心としたもので、後半は、全員参加のカルテット演奏となった。あえていうならば、前者はフリー・インプロヴィゼーションふう、後者はフリージャズふうということになるが、そのようなジャンル意識はすでに誰も持っていない。後半のカルテットは、下手から上手に、森順治、岡本希輔、Miya、テリー・デイの順でならんだ。この順番には意味があり、センターに岡本希輔と Miya というTIOの世話人が並び立ち、下手側の森順治/岡本希輔、上手側の Miya/デイという大きなグルーピングがなされている。しかしながら、前半でソロに固執した Miya が意識的にデュオになることを回避したため、森順治/岡本希輔の組合わせは頻繁にあらわれたものの、Miya/デイの組合わせは(はっきりとした形では)あらわれなかった。あるいは “ずれ” の形であらわれた。センターに歩み出てソロをしていく出だしから順にたどって以下に構成を記す。各数字は便宜的区分けで、演奏は切れ目なくおこなわれた。森順治はアルトとバスクラを、またデイは竹笛と打楽器を持ち替えてヴァラエティを出した。また Miya の「on chair」は、彼女が座って演奏したことを意味する。ちなみに、テリー・デイはずっと座ったままで演奏した。

 (1)岡本|Miya|森順治(as)|Day(竹笛)
 (2)岡本 - 森順治(bcl)+ Day(竹笛)
 (3)Miya|岡本|森順治(as)
 (4)岡本 - 森順治 - Day(perc)
 (5)Miya(on chair)|Day(竹笛)like Miya's sound|Miya(on chair)
 (6)岡本 - 森順治(as)+Day(perc)

 ソロ演奏において、オールラウンドなスタイルを持っている岡本に対し、楽器を変則的に演奏することの少ない Miya は、音を濁らせるよりむしろアブストラクトなメロディーを奏でることのほうが多く、森順治はみずからのジャズ的な資質に忠実に演奏し、打楽器を別にすると、テリー・デイの竹笛は、篳篥のような高い音で演奏されることもあるが、この日は音塊と化したファゴットのような、あるいは動物の声のような、いわくいいがたい不思議なサウンドを出していた。即興カルテットのサウンドや奏法にはヴァラエティがあり、個性豊かではあるが、ボケとツッコミという対話の常道に照らしてみると、カルテットのメンバーはいずれも受けて演奏するタイプのプレイヤーのように思われた。おそらくはそのために、アンサンブルのバランスはとっても、なかなか相手の領域にまで踏みこんでいかないということが起きたのではないだろうか。そのなかでテリー・デイは、状況を的確に読んで対話を試みていたが、竹笛による演奏も、小型タンバリンを使った打楽器演奏も、そっと音を添えるような感じで、場に対して一種のコメンタリー(注釈)をおこなうような性格のものだった。この日の即興セッションで構造的なものを示したのは、前半では寡黙さを通し、後半では一転してひたすら疾走するという、ふたつの対照的な姿勢をとった Miya の演奏だったと思う。

 カルテット演奏の後半、Miya が疾走するのをやめたあと、最後まで持続する10分ほどの凪のような時間帯に、誰がソロをとるというのでもない、サウンドが飽和状態のようになった瞬間がやってきた。ソロ・インプロヴィゼーションのフィーチャーからフリージャズ的な集団即興、さらに粒子のブラウン運動を思わせるサウンド・ホーリズムの世界と、「中空のデッサン」にあらわれたこれらの演奏は、即興シーンの別々の時期に体験された別々のスタイルであり、同時に、歴史的な出来事ともいえるようなものだが、それがこの一晩に、カルテットによって一篇の物語としてたどられたのである。この物語の最後のフェーズにあらわれたサウンド・ホーリズムの世界が、おそらくは私たちが現在いる場所であり、たとえば、TIOで試みようとしている音楽が、そこから未来の世界をどう切り開いていくのか、という位置関係になっていると思われる。たくさんのインプロヴァイザーが集まればどうにかなるという発想なら、このうえなく安易な話にすぎないだろうが、ロンドンと東京の即興シーンを結ぶこと、あるいはテリー・デイという異邦人の周囲に雑多な演奏家が集まることをとおして、少し世間を広くしてみることが、私たちが立っている現実をよりよく知る第一歩になるのではないだろうか。

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