2012年8月10日金曜日

村山政二朗・木下和重: 59:01.68




村山政二朗・木下和重
──59:01.68CD発売記念コンサート ──
日時: 2012年8月8日(水)
会場: 東京/水道橋「FTARRI」
(東京都文京区本郷 1-4-11 岡野ビル B1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥2,000
出演: 村山政二朗(ds, vo)+木下和重(vln)
すずえり(piano, toy piano)+大城 真(objects)
予約・問合せ: TEL.03-6240-0884(FTARRI)
e-mail: info@ftarri.com


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 鈴木美幸の主宰する ftarri レーベルから新譜『59:01.68』がリリースされるのを期に、新しく水道橋に開店したライヴスペースのある専門レコード店「FTARRI」で、村山政二朗と木下和重によるCD発売記念コンサートが開かれた。対バンをつとめたすずえり・大城真のコンビも、すずえりはジャケット・デザインなどのアートワークで、大城真はエンジニア兼プロンプターとして、ともに本盤の制作にかかわったスタッフである。作曲のルールを村山政二朗が提供し、ルールに従った作曲を木下和重と大城真がおこない、演奏は昨年末に録音されている。ただし、大城真は楽器類を演奏したのではなく、スピーカーから自然音を流し、決められた指示をコンソール操作によっておこなうというオペレーション的なことをしている。それでも、「59:01.68」の成立事情を考えれば、補佐的な役割というよりも、演奏の外部にありながら、音楽の成立に構造的にかかわるという意味で、「プロンプター」と呼ぶのが適切ではないかと思われる。アルバムにはコンソールの操作で参加した大城だったが、CD発売記念ライヴでは、演奏者に決められた指示を与えるのに会場のピアノを使用した。これはライヴであることの必然性から生じた変化だったが、音楽的には重要な結果の相違をもたらしたのではないかと思われる。

 村山政二朗の打楽やヴォイスも、また木下和重のヴァイオリン演奏も、作曲された構造のなかでおこなわれる即興演奏ではあったが、あらかじめサウンドの形を限定しておこなう非対話的なものだった。演奏の質としては、むしろ大城のコンソール操作に見合うような、サウンド・インスタレーション的なあり方をしていたと思う。偶然を呼びこむことのない即興演奏といったらいいだろうか。この場合、偶然とは、具体的な演奏の指示が譜面上に書かれていないという未決定状態を意味するのではなく、演奏の外部からやってきて、そこまでの演奏に別の意味を与えるもののことで、演奏者自身が、その時々の自由な構造の選択によって呼びこむもののことである。わかりやすくいうなら、演奏のいきがかり上、途中からジャズになった、あるいはノイズ・ミュージックになったというような不測の事態のことである。作品「59:01.68」では、演奏者が即興によって楽曲構造に触ることが許されておらず、サウンドの限定、沈黙の導入などの点で、すでに私たちの共通知となっている、リダクショニズムの美学に沿った作曲作品となっていた。それでは聴き手は、実際の演奏において、インスタレーション的なサウンド配置による空間体験をしたのかというと、面白いことに、それがけっしてそうではなかった。コンポジションのレベルでは、ジョン・ケージ的な時間操作の概念であったもの──ケージへの言及は、「43311」「31143」「14331」といった「4分33秒」を内包した曲名に示されている──が、結果的には、譜面の指示や演奏スタイルを超える、別様の経験をもたらしたのである。

 譜面上に記されたブロック化された時間の経験でもなく、演奏がもたらすインスタレーション的な空間経験でもないようなもの、それはいくつもの層が重なってあらわれるレイヤー経験のことである。これについては、キュビズム絵画──複数の視線がとらえた複数の面がひとつの絵画のなかに共存する──を引きあいに出すと、わかりやすくなるのではないかと思う。どうしてこのようなことが起こるのだろう?  おそらくそれは、ミュージシャンの姿を見つづけることができるライヴの場合、CDが無音になったときのような、スピーカーの鳴らない「沈黙」状態を、もし聴覚的に実現したとしても、視覚的には、演奏しないミュージシャンがそこに居つづけるという、途切れることのない経験が持続するせいだと思われる。無音の状態になっても、また木下がそうしたように、右手をあげた姿勢や両脚をあげた姿勢が “演奏” として出現したとしても、視覚の働きが、切断されることなく持続するものとして、一連の演奏を乗せるレイヤーを幻視させるということである。この晩も見ることのできた、演奏を出来事として広義に解釈しなおす木下のパフォーマティヴなふるまいは、彼自身のセグメンツ理論を応用した壮大な「セグメンツ創世記」シリーズを経験してきたものの目には、小手調べにしか感じられないものであり、なおレイヤーを破壊することなくその表面にコラージュされる一連の出来事のひとつとして、「59:01.68」を構成することになった。

 時間と空間の間に宙づりにされ、そのどちらにも傾くことのないレイヤー経験。私個人がこのパフォーマンスから受け取ったのは、時間と空間を総合するひとつの方法といったものではなく、かつてキュビズム絵画が視覚にもたらした革命のように、ひとつの音響作品もまた、様々な角度から見たいくつもの側面を同時にもつような立体──3D音楽!──として聴かれるべきものであり、演奏をジャズのような個人的表現や、集団即興のような全体構造に還元してしまうことなく、ある複雑体として受容することを可能にするような、新たな複合感覚のトレーニングのようなものであった。そのような方向を想定したうえでの『59:01.68』というのは、ほとんど素描、あるいはドリルといったようなものである。おなじ作曲のルールを使ってトリオやカルテットの演奏が可能であり、ひとつレイヤーの次元があがるに従って、サウンドの切り子細工は、さらに繊細に、複雑さを増したものとなっていくことだろう。しかしいずれにしても原理はここにある。



※以上のレポートは、書き手が譜面を見て批評を加えたものではなく、この日におこなわれた演奏の聞こえから作曲法を想像しながら書かれたものであることを、おことわりいたします。

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村山政二朗・木下和重『59:01.68』
Ftarri|ftarri-996
曲目: 1. 43311 (11:00),  2. 31143 (11:00),  3. 14331 (11:00), 
4. 13341 (11:00),  5. 31431 (11:00)
演奏: 村山政二朗(ds, vo) 木下和重(vln)
録音: 2011年12月3日/東京
エンジニア: 大城 誠
デザイン: すずえり(鈴木英倫子)
※限定500部/通し番号つき


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