2012年8月30日木曜日

毒食 Dokujiki





中空のデッサンUn croquis dans le ciel
Vol.29
毒食 Dokujiki
日時: 2012年8月22日(水)
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:30p.m.~
料金: 投げ銭+drink order
出演: 森 順治(alto sax, bass clarinet) 林谷祥宏(guitar)
橋本英樹(trumpet) 岡本希輔(contrabass)
問合せ: TEL.0422-72-7822(サウンド・カフェ・ズミ)



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 コントラバスの岡本希輔が主催する「中空のデッサン」が、四人の演奏家のソロを定期的に聴く「毒食」(※)セッションを新たにスタートさせ、その第一回公演が吉祥寺サウンド・カフェ・ズミで開催された。公害問題の原点にいた田中正造の言葉が、3.11後の放射能汚染と無関係なはずはないが、このタイトルそのものに深い意味はなく、単に「独奏」に引っかけた語呂遊びとのこと。この日演奏したのは、ギターの林谷祥宏、トランペットの橋本英樹、サックス/クラリネットの森順治、コントラバスの岡本希輔である。くじ引きで決定した順番もこの通りで、各人が交代で20分前後のソロ演奏をおこなった。活動歴の長い演奏家は、インプロシーンの日常的な風景のなかにすっかり溶けこんで、存在そのものがあたりまえのようになってしまっているため、実際にはきちんと演奏を聴いたことがなくても、なんだかすっかりわかったような気になってしまっていることが多い。そのような日常性を一度カッコに入れ、まっさらな耳で演奏を聴きなおすため、毒食セッションは、高円寺グッドマンでも新宿ピットインでもなく、吉祥寺ズミに所蔵された豊富なジャズ・アーカイヴのなかに、特別な空間を作ろうということのようである。

 四人の演奏家を、演奏傾向からふたつに分けることができるように思う。ひとつは、ジャズを演奏する橋本英樹と森順治で、もうひとつは、楽器を使ってノイズ・アプローチする林谷祥宏と岡本希輔である。ジャズ組のふたりは、先行した橋本が、流れるような急速調のフレーズを多用しながら、アグレッシヴな、たたきつけるようなトランペット・ソロを聴かせたのに対し、森はより緩急のある演奏を選択、ソロの後半では、バスクラを解体しながら演奏するという、これはほとんどフリージャズ界の伝統芸といえるようなパフォーマンスをはさみながら演奏した。ところが解体した楽器が元に戻らなくなってしまったため、その場の思いつきで、床のうえにバラバラになった楽器の部品をシンメトリカルに並べ、その前に跪くと、儀式めかしてサックスを演奏するという、本人にも予想外だったらしい展開を見せた。一気呵成に演奏された橋本のストレートなソロと対照的に、ひじょうにゆっくりとしたバイオリズムのうえを漂う森の演奏は、ブルージーな感覚をたたえたところといい、とびはなれた音と音とをジャンプする演奏といい、正攻法の演奏テクニックを積み重ねていったところに生まれたスタイルといっていいだろうが、楽器の解体も含め、あたりまえのものをあたりまえに演奏したところに、なおもまだ言い残されているなにかに触れたと感じさせるものがあった。多くの即興演奏は、一瞬の美学というモダニズムにいまも支配されているため、誰もが特別なことをしようとしてしまう。森順治はそうした欲望をうまく逃れているように思われた。

 この晩のトップバッターとなった林谷祥宏は、間歇的にエレキギターをかき鳴らしてアタックの強いノイジーなサウンドを出したかと思うと、膝のうえに裏返しにおいたギターの背中をこすったり、電池で動く小型扇風機で弦を鳴らしたり、ドラムのスティックを弦にたたきつけたりした。たぶん特殊奏法でない奏法はひとつもない。楽器から生み出されるノイズは、その場かぎりのものとして、脈絡なしに連結していく。林谷が生み出すノイズは、ノイズ・ミュージックの記憶であるとか、なにかしらの風景やイメージに支えられたようなものではなく、どこまでも徹底して即物的、物音的であるため、演奏法との関係から、プリペアド・ギターを弾いているような印象を与えるものだった。森順治のバスクラ解体が、最初に発揮しただろう関節外しの効果のように、林谷もまた、楽器(の制度性)に対して異化的なふるまいをしたということになるのだろうが、たとえば、ケージのプリペアド・ピアノがなおもソナタを演奏したように、あるいはキース・ロウのプリペアド・ギターがなおも前衛音楽を演奏したようには、なにかしらのギター音楽を演奏しようとはしない。解体されたサウンドに受け皿がないのである。まるで特殊奏法自体がパフォーマンスになっているようであった。そうした林谷の解体的な演奏とくらべると、岡本希輔のコントラバスは、豊かな弦の倍音を利用してノイズ演奏をするときでも、コントラバス以外のなにものでもないような器楽力を発揮していた。ときに太くなり、ときに細くなるノイズのラインは、歴史的なコントラバス・ソロの記憶を参照しながら、一瞬の間も途切れることがない。一口でいうなら、名演なのである。トップランナーとアンカーの演奏は、おなじようにノイズといっても、それほどに対極的なものだった。

 毒食セッションの一方に、やはり岡本希輔が世話人としてかかわる The Tokyo Improvisers Orchestra における集団即興を置いてみると、このプロジェクトの隠れた構図が見えてくるのではないかと思う。第二回目のTIO公演では、新たにソリストが設定され、コンダクション協奏曲とでもいうような場面がいくつか生み出されたのだが、公演自体が社会形成であるような集団創造をめざすオーケストラ音楽と、それがどのようなものであれ、徹底して個人の声を聴こうとする行為とは、いつの時代にも背中あわせに登場してくるものだったからである。私などが指摘するまでもなく、ジャズの歴史を繙けば、1960年代のニューヨーク・コンポーザーズ・オーケストラ結成を嚆矢とするオーケストラ全盛の時代は、同時に、ニュージャズが解き放ったフリーなスタイルが、個々の演奏家たちに、新たな音楽の語り方(即興演奏のこと)を工夫させていた時期と背中あわせになったものだったことがわかる。個人の演奏が自由でバラバラであるためには、それを支える集団性が必要になるし、音楽集団が豊かな音楽を創造するためには、個人の音楽がバラバラでなくてはならない。結局、ふたつに見えることはふたつのことではなく、ほんとうはひとつにならないひとつのことなのだ。個人的な予断として述べれば、TIOの存在はもちろんのこと、その他すべての集団創造の試みは、個々のミュージシャンのオリジナリティを、特に即興演奏などにおいて、よりいっそう精緻に刻むことになるはずである。


※毒食(どくじき):1900(明治33)年2月17日、衆議院で演説した田中正造が、「目に見えない毒」に汚染された水や作物を飲み食いすることをいいあらわしたもの。[フライヤー文面から]

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