2012年11月7日水曜日

杉本 拓: Sweet Melodies II




杉本 拓 Solo Live !
日時: 2012年11月3日(土)
会場: 吉祥寺「サウンド・カフェ・ズミ」
(東京都武蔵野市御殿山 1-2-3 キヨノビル7F)
開場: 5:30p.m.、開演: 6:00p.m.
料金: ¥1,500+order
出演: 杉本拓(guitar)
曲目: 「Sweet Melodies II」
問合せ: TEL.0422-72-7822(サウンド・カフェ・ズミ)



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 すでに閉店した武蔵小金井アートランドで「ヨネモトルーム」を企画していた米本篤が主催者となり、吉祥寺ズミを会場にして定期的に開催されている杉本拓コンサートの第三回公演がおこなわれた。本シリーズはギター・ソロによるオリジナル作品の演奏会で、この日は、現代音楽の作曲法を組み合わせて新たに書き下ろされた作品「Sweet Melodies II」が、ほぼ一時間にわたって演奏された。作品名が松田聖子のヒット曲「Sweet Memories」を連想させるのは、おそらく偶然ではなく、そこにはかつてループライン時代に、数字にまで極限化した作曲スタイルをとっていた杉本自身が、あらためてメロディを使用することに対するパロディ性だとか、いくぶんかの自己批評性があるように思われる。しかしながら、「Sweet Melodies II」が表向きに扱っているのは、使用される6弦ギターの上半分を平均律に、下半分を純正律に調弦した演奏がどのように響くかという音律実験の試みで、メロディを使用しているからといって、伝統的な音楽への回帰を表明したものではない。ましてや、純正律の響きの美しさを見なおそうというような、啓蒙的な意図に発する作曲ではなおさらなく、それはむしろ、私たちがほとんど疑うことなく享受している音律の偶然性・無根拠性を、積極的にさらけ出そうとするものといえるだろう。

 こうした音律をコラージュした作曲作品が、事前の説明なしで初演されたパフォーマンスは、平均律に慣れている私たちの耳が、(日常的にはあまり聴くことのない)耳慣れない響きに集中する時間を確保するため、いくつもある作曲ブロックを、演奏の際、(そのときどきの自由な気分にまかせて)順不同にならべたり反復したりする、ケージ的な<偶然性の音楽>の構造をとっていた。容易に想像できるように、この場合、<偶然性の音楽>の書法の採用は、あらためて偶然性を音楽のテーマにするためのものではない。それは杉本拓の演奏において、なぜか60分という時計的(ストップウォッチ的)時間がデフォルト(の労働時間)になっていることと関係している。<偶然性の音楽>の構造は、この演奏時間をできるだけ守るため、「Sweet Melodies II」の作曲のなかに、時間調節の機能が組みこまれたことを意味している。作曲された複数のブロックは、順不同で演奏されるだけでなく、テンポも演奏者が自由に設定していいことになっている。もうひとつ、確認はしなかったのだが、ひとつのブロックから次のブロックに移る間の休止(沈黙)時間も、その長さを演奏者が自由に設定していいようであった。与えられたこれらの自由は、演奏時間の調整に利用することもできるだろうが、もちろんそればかりではなく、作品演奏にかかわる本質的な意味をもっている。

 なかでも、演奏者がテンポを自由に設定できるという条件は、この晩のプレミア演奏において、特に重要だったように思う。というのも、公演時間の前後半を30分ずつにわけた杉本拓は、それぞれに別の演奏態度をもってのぞみ、前半を、ひとつのノートが独立して聴こえるほどにゆっくりと、後半を、ノートがメロディとしてつながるようにじゅうぶんなスピード感をもって、それぞれ弾きわけたからである。演奏の前半では、それが平均律であると純正律であるとに関係なく、ポツポツと点描的に鳴らされるサウンドは環境音にまぎれこみノイズ化してしまう。ゲシュタルト心理学を踏まえた遊戯的パフォーマンスというべきだろうか。作曲者と演奏者が同一人物でありながら、平均律と純正律を混合した作曲という点では、これは作曲者の意図を演奏者が裏切る異化的な演奏といえる。同時に、<偶然性の音楽>の構造が予期している「偶然の結果」を逸脱するノイズが出現している点でも、演奏者は作曲者の意図を裏切っている。偶然の発生する場所が、演奏によってずらされているからだ。「Sweet Melodies II」の楽譜が、この初演を踏まえずに演奏される機会があったとして、このような演奏になることはまずありえないだろう。これらの諸点についてみるとき、現代音楽の書法をコラージュした「Sweet Melodies II」は、現代音楽をパロディ化する演奏態度によってパフォーマンスされたといえるように思う。譜面のいたるところにしかけられたポストモダン戦略の罠と、静かな森の夜明けを思わせる生態的なサウンド世界の同居こそは、杉本拓ならではのものである。

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