2012年12月26日水曜日

照内央晴+木村 由: 照リ極マレバ木ヨリコボルル




照内央晴木村 由 DUO
照リ極マレバ木ヨリコボルル
日時: 2012年12月23日(日)
会場: 東京/荻窪「クレモニアホール」
(東京都杉並区荻窪5-22-7)
開場: 6:30p.m.,開演: 6:45p.m.
料金: ¥2,000
出演: 照内央晴(piano) 木村 由(dance)
会場問合せ: TEL. 03-3392-1077(クレモニアホール)


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 今年の夏、4組のグループが出演した高円寺ペンギンハウスの音楽コレクションのなかで、ピアニストの照内央晴とダンサーの木村由は初セッションをした。ライヴハウス上手側の壁に押しつけられた状態で置かれているアップライトピアノ、アイコンタクトのできない背中あわせの共演という悪条件の下だったが、ダイナミックな豪速球を投げる照内のパーカッシヴなピアノと印象的な身体のたたずまいを連結していく木村の持ち味は、それぞれじゅうぶんに発揮されていた。パフォーマンスにおける音楽と身体の二重焦点は、けっして否定されるべき出来事ではなく、共演者に同調して構造をすっきりさせることが、必ずしもいい結果に結びつくという保証はない。たしかにそうではあるのだが、その一方で、なぜそうでなくてはならないのかということに対する合意や、共演者が何者であるかを知っているということは、出来事を深めるために欠くべからざることのように思われる。荻窪クレモニアホールという音楽スタジオに場所を移した二度目のセッションは、終演後に照内が「今回が初共演と思う」と述べたように、ひとつの出会いなおしとしておこなわれた。共演者が何者であるかを知ろうとする努力とともに、共演を重ねることで、自分たちがなぜこのようでなくてはならないのかということに思いをめぐらせる時間だったように思う。

 通常はステージ下手に置かれるグランドピアノが中央に置かれ、木村由はその周囲を回るように空間を使った。照内央晴はずっと演奏をつづけていたわけではなく、ときに鍵盤から手を離して共演者のふるまいを見守ったり、パフォーマンスの真中あたりでは、固定しかかったふたりの位置関係を崩す(あるいは逃れる)ようにして観客席に座ったりした。音楽的にいうなら、木村のソロの場面を作ることで、その意図を図りながら、同時に場の空気を入れ替えようとしたのだろう。グルーヴする鍵盤の強打から内部奏法に移り、デュオ演奏を継続しながら緩急のシークエンスをサンドイッチにしていくというのが彼の基本的な演奏スタイルと思うが、木村との共演では、このサンドイッチ部分に沈黙が挟みこまれた格好である。場所柄ということもあったのだろうか、用意したチェーンでピアノ線のさわりを引き出す演奏は、最後の最後に、ほんの少し登場しただけだった。沈着冷静に展開を読みながら、ここ一番というときには、ストレートの豪速球をたてつづけに投げこんでくるのが照内の持ち味だ。フリージャズ的なダイナミックさは演奏のいたるところに挟みこまれるものの、すべてが身体運動に還元されてしまうのではなく、そこに多彩な楽想がパスティーシュされていく。この晩はその多彩さがひときわ際立つ演奏をしていた。

 木村由は、演奏家とともにありながらも、音楽に合わせてダンスをするのではなく(換言すれば、時間のなかで意味を持つような身ぶりの構成をするのではなく)、それとは別に立てられた空間構造との対話をダンスに仕立てていく。ひとつにステージ中央に置かれたピアノ、ひとつに上手と下手の床のうえに置かれた投光器が作り出す異化的な空間。それは単なる照明の光ではなく、この世ならざる空間を開く異界からの光となっている。投光器はあらかじめ置く場所だけが決められており、即興的なダンスの進行によって、ダンサー本人が点灯したり、ダンサーの意を汲んだスタッフが操作したりした。この投光器は、先般おこなわれた長沢哲の公演シリーズ「Fragments」(1118日、江古田フライング・ティーポット)にも登場して、ライヴハウスを地下洞窟に変えていたが、今回は新たにもう一台が持ちこまれ、そのぶん木村のダンスもいっそう貪欲なものとなっていた。数日前のちゃぶ台ダンスに出現した、凝縮し、煮つめられた身体との違いはきわめて印象的なものである。投光器の強い光に照らされ、壁に大きく映し出されるグランドピアノの影、意味と無意味の間で宙づりなったダンスの解体感覚、これらは日常的なクレモニアホールの空間に穴を開けて、観客たちを異世界に拉致しさる装置になっていたといえるだろう。

 投光器が作り出す光と影の世界、自然さをはぎ取られた奇妙な仕草、壁際をするすると移動していくダンサー、細部を数えあげていったらきりがないのだが、これらがかもしだす独特の質感は、私に古い記憶を思い起こさせた。青春時代に熱中したドイツ表現主義映画の名作で、FW・ムルナウが監督した戦前のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1927年)である。ダンサーが無意識にする背中の傾斜。壁際で天井をふりあおぐ顔。それらのささいな、それでもけっして忘れることのできない強度をもったイメージの断片。あるいは逆に、サイレント映画で場面の内容を伝えるため大仰になされる演技が、その不自然さによって日常性を逸脱する身ぶりになっていくようなありかた。そしてなによりも、フィルムの感度が低いところから、俳優が顔を白く塗り、強い照明をあてないとまともな撮影ができなかったという、戦前の表現主義映画に定着された光と影の世界が、クレモニアホールにそっくりそのままあらわれていたからではないかと思う。さらに、これはただ表面的に似ているだけではなく、有名な「魔女のダンス」を踊ったメリー・ヴィグマンの表現主義的ダンスにも通じるということを考えれば、出発点でモダンダンスを学んだ木村にとって、思いのほか重要な意味を持つものではないだろうか。






※「照リ極マレバ木ヨリコボルル」という公演タイトルは   
北原白秋の詩「薔薇二曲」からとられた。  




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   「木村 由+照内央晴@高円寺ペンギンハウス」(2012-08-26)

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