2013年1月14日月曜日

真砂ノ触角──其ノ参@喫茶茶会記



吉本裕美子 meets 木村 由
真砂ノ触角
── 其ノ参 ──
日時: 2013年1月13日(日)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開演: 8:00p.m.、料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 吉本裕美子(guitar) 木村 由(dance)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 「真砂ノ触角」と命名された、針の先のようにとがった場所で、ギタリスト吉本裕美子とダンサー木村由という超個性派のふたりが、三度目の出会いを果たした。とはいえ、何度回数を重ねても、ふたりの出会いの危うさは解消されることがない。前回の公演で、肩にかけた細紐で一升瓶を引きずりながら楽屋口から登場した木村由は、ステージ下手の奥に立って演奏する吉本の前を斜めに通過する対角線上を動き、ギタリストのテリトリーを侵犯しないようにしながら、その境界線に触れていくダンスによって空間の構造化をおこなった。細紐につながれた一升瓶は、木村にとってダンスの性格を決定づけるような、心躍らせる面白い思いつきだったと思われるが、それを喫茶茶会記で引きずっていくとなると、おそらくこの対角線のラインしかありえなかっただろう。備えつけの照明が極力落とされたのは、闇が必要だったからというより、むしろ照明の光が(多少なりとも)場所を性格づけてしまうことで、ふたりの間の境界線をなす斜めのラインをぼかしてしまうことのないようにという配慮からだったと思われる。「真砂ノ触角」においては、ふたりが(ある意味では悪夢のように)くりかえし出会いつづけること、いいかえるなら、出会いの位相に踏みとどまりつづけることが、針の先のようにとがった場所で、誰かの皮膚に触れようとする「触角」の存在を現実のものとするのである。

 およそ半年後に開かれた今回の公演では、机の高さに取りつけられたクリップライトが、上手下手の客席側から、ふたりのパフォーマーを照らし出していた。前回とおなじ位置に立ったギタリストは、下手側のライトに照らされて、木調の縦格子が貼られた背後の壁に長い影を落とす。かたや頑丈な椅子ではなく、花瓶を乗せるような華奢な台座に腰かけたダンサーは、上手側のライトに照らされて、彼女自身の影をギタリストの足もとまでのばしている。シンプルな演出だが、これが前回と対照的なパフォーマンス空間の構築になっていることは、すぐに見て取れるのではないだろうか。下手のライトに消されて見えなくなっているが、上手のライトが投影するダンサーの影は、床をはった先でギタリストの吉本に重なり、あなたと私の境界線を突き破って曖昧にしている。その場で構築するパフォーマンス空間を、音楽から切り離されたダンスだけのものにすることもできるが、そこにギタリストの存在を巻きこむことで、出会いの化学変化を期待させるようなものにすることもできるということだろう。あらかじめクリップライトの光が素描する動線に沿って木村のダンスはおこなわれ、ギタリストに接近したり遠ざかったりしながら、あたかもデュエットで一枚の絵を描くように、ひとつひとつのダンスの身ぶりを意味づけていくことになる。

 そのなかでも、木村が吉本に急接近してのダンスは、一瞬一瞬をつなげてアンチ・クライマックスの演奏をするギターサウンドのたゆたいはそのままに、前回の共演になかった劇的な要素を「真砂ノ触角」に加えることとなった。すでに出会っているふたりによるさらなる即物的な出会いは、出会いの常識的な距離感を撹乱させるところに、新たな出来事を起こすものということができるだろう。前回のレポートで、このふたりでなくては生まれない「真砂ノ触角」らしさについて、以下のように書いた。「『真砂ノ触角』が扱っているのは、音楽とダンスというように、はっきりとした領域や形をもたないサウンドと動きの接触によってあらわれる、すぐれて身体的な出来事なのではないかと思われる。それは始まりもなく終わりもなく、ずれるという意識もないままに、ひたすら横へ横へとずれていくようなもの。おたがいに触れあうような場所がどこかにできたら、それがパフォーマンスのどの時点でも出発点となるような、出来事の場だったのではないかと思われる。拡張された即興演奏としての出来事の場、あるいは拡張されたダンス・パフォーマンスとしての出来事の場(以下略)」。木村が吉本に急接近した場面は、リング中央で殴りあうボクシングを見るようにスリリングだったが、それは実のところ、こうした身体的交感のヴァリエーションのひとつなのだと思う。

 木村が吉本に接近していったとき、縦格子に投影される木村の影は、上手下手のライトから同時に照らされることでふたつになった。右手にできた影は、吉本のそれと同じ方向にゆがみながら並んでダンスし、左手にできたもっと小さな影は、大きな吉本の影のなかに出入りしながらダンスしていた。即興セッションのなかで演奏するミュージシャンに接近し、楽器や身体に触れるダンサーは多い。ミュージシャンの身体そのものに働きかけて、ダイレクトに触発しようとするこうしたやり方については意見のわかれるところだろうが、「真砂ノ触角」のふたりに関するかぎり、そもそもそのような場面を想像することができない。かっちりとした木村のダンススタイルによるものだろうか、あるいは直立不動の姿勢を保ったまま、ほとんど動くことのない吉本の演奏スタイルによるものだろうか。演奏する身体に余白や隙間、あるいは激しく動く部分などがなければ、いくらダンサーといえども、必然性をもってミュージシャンの身体とクロスすることなどできないような気がする。目の前でダンスする木村に吉本はわずかに身体を向けたが、ふたりの背後では、いくつもの影が身体を自由に交錯させながら踊っていた。私はそれをふたりの思いの影のようにしてながめていた。






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