2013年2月11日月曜日

木村文彦 東京 初ライブツアー



木村文彦 東京 初ライブツアー
@水道橋 FTARRI
日時: 2013年2月10日(日)
会場: 東京/水道橋「FTARRI」
(東京都文京区本郷 1-4-11 岡野ビル B1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥1,500
出演: 【第一部】木村文彦(ds, perc)ソロ
【第二部】秋山徹次(guitar)+池上秀夫(contrabass)+鈴木學(electronics)
【第三部】全員による演奏
予約・問合せ: TEL.03-6240-0884(FTARRI)
e-mail:info@ftarri.com



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 昨年、大阪を拠点に活動する時弦旅団のリーダー宮本隆をプロデューサーに迎え、ソロ・アルバム『キリーク』をリリースしたドラマーの木村文彦が、エレクトロニクス奏者である鈴木學の尽力で、初の東京公演を実現した。ひとつはギターの秋山徹次とコントラバスの池上秀夫をゲストにした水道橋「Ftarri」公演、もうひとつはサックスの広瀬淳二とヴォイスの徳久ウィリアムをゲストにした大崎「l-e」公演である。以下ではこのうちの初日公演をレポートすることにしたい。第一部:木村文彦ソロ、第二部:秋山徹次+池上秀夫+鈴木學トリオ、第三部:全員によるセッションという三部構成のなかでは、やはりなんといっても、実際に見てみなくてはその雰囲気が伝わらない、木村の特異な打楽パフォーマンスが注目の的となった。関西エリアにおいて、「舞踏」を看板に掲げてパフォーマンスするダンサーとの共演が多いことがきっかけとなり、木村はおよそ一年ほど前から、打楽器の演奏に身体表現を加味した、演劇的な、あるいは表現主義的な打楽スタイルを構想してきたという。会場の照明を暗くし、ステージ下手の床に置かれたライトから発せられる強い光に下から射抜かれて、光のなかに顔を浮きあがらせたり、楽器が作る暗がりに身体を沈みこませたりしながら展開される、激しい身ぶりをともなったハイ・テンションの打楽。日常性を逸脱して、劇画的なまでにカリカチュアライズされた音楽である。

 そもそもドラムセットからして尋常ではない。おもな演奏場所となるセットの中央には、大きな灰色のボックスが置かれ、そのうえに発泡スチロールの角材やタンバリン、金属製のブックエンドなどが乗せられている。左脇には色とりどりのシャベルが吊るされ、スタンドにはチェーンも巻きつけられている。反対側の右脇には、大きなシンバルや銅鑼がセッティングされ、ドラムセットの両脇はタムで区切られている。上手にはスティック、マレット、ブラッシュなどを乗せた台があり、その前にはコンセントを抜かれた遠赤外線の電気ストーブ、床には大小のシンバルや鉄琴、ムビラや小さなゴング、フレームドラムなどの民族楽器が散乱している。会場が暗転すると、ゆったりとした動きやすい衣装に着替えた木村が、裸足になって、客席の斜めうしろにあるレコードショップのレジカウンターの前から、身体を大きく動かしながらステージに入ってくる。演奏に決まったリズムやビートはない。幽鬼のような顔を、足もとからやってくる光のなかに浮き沈みさせて、灰色のボックスのうえに楽器を乗せてたたいたり、ボックスを開けてなかでなにかをしたり、そのあたりをウロウロしながら、手に触れたものを手当り次第にたたいていくといった印象。本来ならばつながりようのない音が、木村の身体の動きによって斜めに連結されていく。20分ばかりの演奏のクライマックスでは、たたみかけるような太鼓類の連打があった。

 大阪からやってきた「暗黒打楽」を迎え撃つ格好で組まれた、秋山徹次、池上秀夫、鈴木學による東京組のトリオ・セッションは、ここ数年、コントラバスの池上がピボット役になり、秋山×池上のデュオや、鈴木と池上のふたりにサックスの広瀬淳二を加えたトリオなどで共演してきた経緯を背景にしたもので、おたがいの音楽を見定めたうえの、重厚な音響的即興を展開した。音楽を異化するノイズという野生のエレクトロニクス問題(SUZUKI FACTOR)は、ここでも即興演奏の質を測るものさしとして有効だろう。今井和雄トリオ結成(2005年)の際に求められたような、ハンドメイドで作り出す電子音の、飼いならされることのない外部性はすでになく、この晩の鈴木は、音響的即興を支えるエレクトロニクス音楽を演奏していたように思う。鋭角的に切りこんでくる秋山のギターサウンドと、音響機器の操作によって、つねに遅延した状態で出現してくる鈴木のエレクトロニクスの間で、池上のコントラバスが絶妙な橋渡しをおこなうという役どころもはっきりとしていた。池上の演奏スタイルは、多彩な即興イディオムに開かれたポリグロットの側面を持っているが、ここではそうした部分をおさえ、むしろ彼がソロ・パフォーマンスで追究している音楽に近い、サウンド主体の演奏に徹していた。初手から完成度の高い即興音楽だったといえるだろう。

 全員でおこなう最後の合同セッションでは、リズムのあるなしに関係なく、サウンドにダイナミックな身体性を求める木村のパフォーマティヴな演奏と、細かい響きを注意深い手つきで織りあげていく秋山 - 池上 - 鈴木トリオのミニマリズムが合流することとなった。セッションの冒頭で、ムビラの舌をはじいたり、ロール状に巻いた大きな半紙を開いてクシャクシャした音を出すなどしていた木村に対し、鈴木がいったんすべてを押し流すような洪水サウンドで下地を作ったあと、いくつものベクトルが交錯する状態のなか、カルテットによる演奏の方向性を模索しながら、間歇的にサウンドを出しあう展開がひとしきりつづいた。しかしながら、大きく開いた資質の相違は如何ともしがたかったようで、最終的には、大きなチョコレート玉(木村の打楽)をやわらかな和紙(トリオのミニマル・アンサンブル)で包むような、即興スタイルの棲み分けに落ち着いていった。やわらかな和紙は、多彩に様相を変えるサウンドで色とりどりに模様を変えていくのであるが、チョコレート玉との関係を変えることがない。チョコレート玉もまた、大小のサウンドで身体的な突出感を変えていくのだが、やわらかな和紙との関係性を崩すことがない。そこには地と図の関係というのではなく、地と図がそれぞれに動いていくような不思議なアンサンブルが生まれていた。





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   「木村文彦:キリーク」(2012-04-03)

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