2013年2月17日日曜日

秦真紀子+吉本裕美子+左馬 漣: Hyoruka



秦真紀子吉本裕美子左馬 漣
Hyoruka
日時: 2013年2月16日(土)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
会場: 東京/下高井戸「不思議地底窟 青の奇蹟」
(東京都世田谷区松原3-28-12 B1F)
料金: ¥2,000
出演: 秦真紀子(dance)、吉本裕美子(guitar)
特別ゲスト: 左馬 漣(live drawing)
予約・問合せ: e-mail: tamatoy@gmail.com
(tamatoy project)



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 現在の活動スタイルは、2010年に結成した<tamatoy project>を足場にして、毎年、白矢アートスペースで開かれる「Irreversible Chance Meeting」を代表格に、大小の企画を組んでいるダンスの秦真紀子とギターの吉本裕美子であるが、長い共演歴を持つこのふたりが、劇団オルガンヴィトー(「生命器官」の意味)の活動拠点となっている「不思議地底窟 青の奇蹟」で、改めての本格的デュオ・パフォーマンスと、ボールペン絵画の左馬漣(さま・さざなみ)をゲストに迎えたコラボレーションからなる公演「Hyoruka」を開催した。下高井戸のシネマ通りにある「青の奇蹟」は、その名の通り、群青色に塗られた壁、空色の丸太を組んだ柱、ぎしぎしと鳴るグリーンの床、黒いカーテン仕切りなど、ブルーを基調に手作りされた雑居ビル地階の小スペースである。「Hyoruka」公演では、部屋の奥まった場所に、30人ばかりの雛壇席が作られた。演劇用の照明が使えるところから、第一部で、緑色の床をポツポツと照らし出すスポットライトが、木もれ日の落ちる鬱蒼とした森を思わせるステージを作る一方、ドローイングがよく見えるように部屋全体を明るくした第二部では、大団円の部分で舞台が暗くなり、観客席だけにスポットがあたるドラマチックな演出がなされた。

 盛りあがりもせず、盛りさがりもせず、開始点も終始点もなく、浮遊感のなかでサウンドを紡ぎだしていく吉本裕美子のギター演奏は、秦真紀子とのデュオにおいても変わらなかった。パフォーマンスの冒頭、暗い会場を歩きまわりながら出した高い金属音は、おそらく昨年「ACKid 2012」に出演したとき使ったグルジアのおもちゃの鉄琴だろう。暗闇に響く高次倍音には、場所を清める呪術的な働きがあるようで、パフォーマンスを日常的な時間から聖別しながら、闇のなかに座る観客をたやすく変性意識状態のなかに置いた(その直後、ギターを弾くための電気が来ていないことに気づいて、いったん部屋を出るという、まことに彼女らしい日常業務的な一幕もあったのだが)。ダンサー木村由とのシリーズ公演「真砂ノ触角」では、こうした吉本の変わらなさに対して、木村が別のパフォーマンス空間を用意するのだが、秦真紀子はそうした準備作業はなにもおこなわず、寝かせてあったギターの弦に触れたり、吉本の使うマレットを借用したりという以外は、いわば徒手空拳でデュオにのぞんでいた。共演者とのコミュニケーションを重んじる秦のダンスであるが、もともと吉本のギター演奏にからむというのはできない相談なので、ダンスはギタリストの立ち位置や観客席との間で距離感を測り、構図を取りしながらおこなわれているようであった。

 吉本のギター演奏よりからみやすかったのだろう、秦真紀子らしいパフォーマンスは、ライヴ・ドローイングする左馬漣とのセッションで多く見られたように思う。ステージ中央で、縦に切れ目の入った大きな黒い画用紙を前にした左馬は、白いペンを使ってアブストラクトな線画を描いていった。等高線のように見える線画ができあがると、切れ目に沿って画用紙を一枚一枚短冊のようにはがしていき、観客席との間にもうけられたバトンに吊り下げていく。すべての短冊をボードからバトンに移し終わるとパフォーマンスに転調が訪れ、ステージ照明が消えて、観客席にスポットライトが照射されるなか、三人が会場をウロウロと動き回り、簾のようになった短冊に触れたり、短冊の内外をくぐり抜けたりする動作がくりかえされた。ライヴ・ドローイングはハプニングへと発展したのである。第二部では、秦がダンスしている位置を確認しながら、立ち位置を変えつづけていた吉本だが、最後の場面でも、ギター演奏をしながら観客席前まで出てきていた。こんなふうに周囲にからむものがたくさんあるとき、秦真紀子のダンスは生き生きとしてくる。黒い大判の画用紙のわきから手やふくらはぎを出す登場の場面、死体のように会場の床に身体を横たえる動作、あるいは短冊の簾を何度もくぐり抜け、その一枚を顔の前で抱きしめるしぐさなど、身体が向かう対象を次々に変えながら積極的にコミュニケートしつづけたのである。

 デュオとトリオで構成された「Hyoruka」公演に触れてみると、<tamatoy project>を結成しているふたりの女性は、なにかひとつのヴィジョンを実現するためにではなく、独自に作ってきた幅広い人脈を生かして、さまざまな出来事を彼女たちの周囲に集めるために共同しているように思われる。音楽はもちろんのこと、映画やダンスなど、いくつもの芸術ジャンルで積みあげられた吉本の幅広い見聞や知識が、こうしたところで大きく役立っているのだろう。ここでの出来事は、深く掘り下げるためにではなく、蒐集されるためにある。いくつもの出来事の蒐集は、出来事と出来事の重なりのなかで複雑化され、予想のつかないもの、予想を大きく外れるものとなっていき、それ自体が新たな出来事を生んでいくといった様相を呈している。蒐集されるものが「情報」ではなく「出来事」と呼ばるれるべきなのは、言うまでもなく、そこに彼女たちの身体が深く関与しているからだ。観客席を照らし出すスポット、会場を分断して簾のように吊り下る短冊、ざわざわとした人の動き、ステージ奥の暗闇、こうしたものたちがかもしだす(夜の神社の境内のような)強烈なビザール感覚を身体いっぱいに呼吸しながら、まるでこの瞬間が少しでも長くつづことを祈るように、たゆたうような吉本裕美子のギターが会場にいつまでも揺曳していた。




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