2013年2月12日火曜日

YAS-KAZ+山木秀夫+前田信明: TETRAHEDRON



TETRAHEDRON
── YAS-KAZ山木秀夫前田信明 ──
日時: 2013年2月10日(日)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
開場: 2:30p.m.、開演: 3:00p.m.
料金/一般: ¥3,000、学生: ¥2,000
出演: YAS-KAZ(drums, percussion) 山木秀夫(drums, percussion)
前田信明(美術)
照明・音響: 早川誠司
企画・制作: 宮田徹也

※同時開催: 前田信明展『Rhythmic Movent』



♬♬♬




 幅3メートルほどの長い布が二枚、天井から吊り下げられている。よく見ると、全体にグレーがかった布には、継ぎ目のように見える本のラインが縦に走っていて、さらに仔細に観察すると、左側を走る一本は明るい白のラインなのだが、右側を走る一本は、たくさんの細いラインが束になったものである。さらにこの本のラインとは無関係に、巨大な布の中央部分は、滝のように流れ落ちるひときわ濃いグレーによって染め抜かれている。濃淡のグレーの境界は曖昧で、少しずつぼかされているという関係にもないし、濃淡によって墨絵のような奥行きを形成しているというわけでもない。それはむしろ、前景を本のラインが走り、中景を黒々としたグレーが流れ落ちていき、背景を薄いグレーの地が支えているというように、三枚のレイヤーが重なったもののように見える。前景と中景に出現するレイヤーは、背景のレイヤーの支えがなくては見ることができないのだが、いったん出現してしまったあとでは、前景と中景に出現するレイヤーの存在が、無地であるべき背景もまた、一枚のレイヤーにすぎないことを告げ知らせるのである。

 前田信明の手になるこの美術作品は、宮田徹也が制作した「TETRAHEDRON」で打楽競演する YAS-KAZ と山木秀夫の背後に、一枚ずつ吊り下げられていたものである。すなわち、二本のラインが走る前景レイヤーのさらに手前にミュージシャンが位置することは、そこに打楽サウンドによる四枚目のレイヤーが重なることを想定している(はずである)。ただし、ここはもっと正確にいう必要があるだろう。というのも、打楽器の演奏もまた「一枚岩」ではなく、ふたりの奏者によって二枚のレイヤーを持ったものだったからである。さらに山木秀夫はパソコンによる音響ファイルの再生(やはり打楽器の音)もしていたので、事実上は、音楽演奏もまた、前田信明の美術作品とおなじように、(最大で)三枚のレイヤーを重ねていたことになるだろう。こうしたところから、「四面体」のタイトルは、美術作品の三層構造+音楽を意味しているとも、また逆説的に、音楽演奏の三層構造+美術作品を意味しているとも解釈できる(もちろん、もっと単純に、美術家1+音楽家2+観客とも考えられる)。というのも、パフォーマンスの最中、作品の表面や裏側からあてられる色とりどりのライトが、布の編み目や肌理を浮き彫りにすることで、複数のレイヤーが生み出す作品内の緊張関係を解消して、作品がさまざまなイメージを浮きあがらせる一枚の皮膜にすぎないことを明らかにしていたからである。

 「気が済むまでに、終了時間は決めていない」と宣言されたリズム神による打楽競演「TETRAHEDRON」は、休憩時間も含めると、三時間三セット(演奏時間はおおよそ40分/60分/30分の割合)をたたきつくすという、予告通りの大コンサートになった。さほど広くない明大前キッドアイラック・アートホールに、ドラムセットはもちろんのこと、バラフォンやスティール・パン、フレームドラムやジャンベといった単体の民族楽器に、バケツにコイルのついた大きな糸電話みたいな反響装置まで、観客席の確保に悩むほどたくさんの打楽器が持ちこまれ、ソロ・ドラミングの交換というようなありきたりの形式が無意味化してしまうほど膨大な量のエネルギーが、ほとんどポトラッチ状態で演奏に注ぎこまれることになった。キッドアイラック初出演となった山木秀夫は、ドラムセットを中心に、バラフォンやパソコンをセットの両脇に設置するシンプルな構成で、演奏の自由度を確保していたが、対する YAS-KAZ は、膨大な量の楽器群に囲まれ、許された時間と体力のなかで、ひとわたりそれらをたたいてまわることがそのままコンポジションであるような、めまいを起こしそうな過剰さのなかで演奏に取り組んでいた。

 このように書くと、いくつかのレイヤーに還元された前田信明の作品に見られる絵画の最終形態に対し、人間にとって根源的な打楽に回帰することで、抽象化することのできない(古代的な)感情や、ある種の祝祭空間が開かれたように想像されるかもしれない。しかしながら、民族楽器で織りあげる特色のある繊細なアンサンブルから、ふたりが全身全霊で打ちあう打楽のハーモロディック・オーケストラまで、ものをたたきまわる膨大なエネルギーは、洗練された見事な手さばきで無駄なく三セット内に配分され、聴き手を快適に高揚させるような音楽として結実したのである。このことが示しているのは、多種多様な共同体から引きはがされた楽器群が、異質なものどうしの新たな出会いによって、音楽の既成概念を転覆するというような時代は終わり、すべてはひとつの界面に等しく並べうるものとなっているということだろう。この界面の存在は強力なもので、会場を打楽器で埋め尽くそうとした YAS-KAZ の欲望の過剰性すらも、すべて吸収してしまう力としてあるらしい。山木秀夫がパソコンで流したリズムパターンは、ふたりの打楽器奏者がともにソロをとることのできる状態を生み出すものだったのだろうが、それ以上に、彼らの音楽がすでにレイヤーを生きていることを、期せずして証明することになったのではないかと思われる。その意味で、打楽を知りつくした YAS-KAZ と山木秀夫もまた、前田信明と同時代を生きる表現者としてこの場に立っていたといえるだろう。





-------------------------------------------------------------------------------