2013年3月16日土曜日

石川 高+山崎阿弥+森重靖宗+立岩潤三: ペガスス



ペガスス
石川 高山崎阿弥森重靖宗立岩潤三
日時: 2013年3月15日(金)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥2,500(飲物付)
出演: 山崎阿弥(voice) 石川 高(笙、竿)
森重靖宗(cello) 立岩潤三(percussion)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 ヴォイスの山崎阿弥、チェロの森重靖宗、インド打楽の立岩潤三からなるトリオは、昨年10月に、祖師ヶ谷大蔵の「カフェ・ムリウイ」で初共演を果たしている。自然体で演奏された、身体の深い部分にまで届くリラクゼーション音楽は、これが初顔あわせとは思えないほどのアンサンブルを実現していた。ほぼ半年ぶりにおこなわれた喫茶茶会記の「ペガスス」公演は、このトリオに笙の石川高を加えた発展形のセッションといえるだろう。とはいいながら、第一部で石川と山崎のデュオを、第二部で森重と立岩が加わってカルテット演奏するという構成は、狙いも、音楽のありようもまったく異なるふたつのセッションを結合した印象だった。これはおそらく、石川との(演奏者としての)再会を構想した山崎が、ふたつの形の出会いをプログラムしたということなのだろう。笙はもちろん、この日は復元楽器の竿(う)も演奏した石川は、楽器演奏を通じた息のスペシャリストで、この意味において、山崎との共演はヴォイス・デュオと考えるべきものと思われる。第二部のカルテット演奏は、前半のデュオ演奏を踏まえながら、ロングトーンをベースに、大らかなサウンド世界を描く石川/森重コンビと、その反対に、断片的なサウンドで次々とイメージ切断をおこなっていく山崎/立岩コンビの対比を際立てるようなセッションがおこなわれた。

 石川高の息の音楽と山崎阿弥の即興ヴォイスは、あらためて述べるまでもなく、それぞれが、それぞれのありかたで強度を持つサウンドを作り出しながら、会場の中央に、二脚の椅子を相対してならべたようには相対しておらず、響きのやわらかさにおいて、繊細かつ微妙であるとともに、まるで階下に住む住民と階上に住む住人の違いのように、それぞれがよって立つステージの相違によって、別々の領域を動いていくように思われた。山崎のヴォイスは、オノマトペのように、意味のある言葉を発するわけではないにしても、やはりひとつの言語として行使され、精度の高い鮮明なヴォイスが単語のようにその場に置かれていく。その一方で、石川の息というのは、文字通りヴォイスを運ぶものとしてあり、すべての言語的なるものを支える実相をむき出しにするものである。即興の領域では、1990年代の中盤に、ソプラノ奏者のミッシェル・ドネダが、フレーズを捨て、サックス管に息を吹きこむだけの演奏をはじめたことを参照するとわかりやすいかもしれない。写真でいうなら、フィルムに写るあれこれの被写体を問題にするのではなく、映像を可能にする光そのものを問題にするということになるだろうか。これは、どちらがより声の本質に迫っているかというようなことではなく、ふたつの位相が揃うことで初めて知ることのできる重層的な経験のありようといえるだろう。

 そうであるがゆえに、ふたつの位相はどこまでも交差することがない。デュオ演奏の冒頭に出現した、喉をつめて出すかすれたような高い声は、吉田アミのハウリング・ヴォイスを思わせ、コロコロと転がす声は、まるで森のなかの動物のよう。瞬間的にメロディーがあらわれるかと思えば、なにごとかを呟く声調が意味不明なことを訴える。こうした数々の声をスイッチしていく山崎のヴォイスが、細くなり太くなりしながら、靄のようにあたりにたちこめる笙や竿の響きと並行して、次々にあらわれては消えていく。石川もまた、煙のような響きをただくゆらせるだけでなく、山崎の声のリズムや強度を意識しながらサウンドを変容させていく。彼女のヴォイスより少し遅れていたかと思うと、いつの間にか追いつき、ときには行く先を照らす光のようになって響きを移していく。声の位相のずれが、ずれたままで二枚の鏡となり、おたがいの姿を少し違う形で映し出しながら、追いつ追われつしていくさまは、二匹の蝶が、みずからのテリトリーを守りながら、春の陽の光に鱗粉を輝かせ、上になり下になりしながらダンスする姿を思わせ、あたかも胡蝶の夢を目前に見るかのようであった。これはまさに、ある種の並行世界を経験することに他ならない。

 第二部のカルテット演奏は、敷物のうえに座り、フレームドラムやタブラといった楽器はもちろんのこと、赤いホースや新聞紙まで使って演奏する立岩潤三が、おもに山崎のヴォイスと呼応する散文的なサウンドが一方にあり、チェロで官能的な弦楽を奏でる森重靖宗が、おもに石川の古代的な響きとアンサンブルする情感的なサウンドが一方にあるという具合で、いっきょに音色パレットを増した環境のなか、どちらのサイドにも傾斜してしまうことのない絶妙なバランスのなかで演奏が進行していった。即興ヴォイスではしばしば見られることだが、山崎のパフォーマンスには、音楽だけでなく演劇的な要素もあるようで、座っている椅子を動かして音を出したり、カラスの鳴き声や狼の遠吠えを場面構成に使ったり、セッションの最後の場面では、宮沢賢治の曲としてよく知られる「星めぐりのうた」を歌ったりした。巻上公一や蜂谷真紀を引きあいに出すまでもなく、このように雑多なものをネットワークしていくことができるのも、ヴォイスならではの特徴となっている。立岩潤三のインド打楽は、チェロや笙の響きをドローンにすることもできるし、リズムを口唱歌するように、山崎の声性に寄り添うこともできる境界的な位置に立っていた。彼がありきたりな形式に依拠したり、カルテットの仲介役を引き受けたりせず、つねにその境界線上にとどまって演奏していたのも、場を自由にすることにつながってみごとだった。





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