2013年4月21日日曜日

照内央晴+木村 由: コマの足りないジグソーパズル



照内央晴木村 由
コマの足りないジグソーパズル vol.31
日時: 2013年4月20日(土)
会場: 東京/高円寺「koen the TAO」
(東京都杉並区高円寺北3-6-2)
開場: 2:30p.m.、開演: 3:00p.m.
料金: 投げ銭制
出演: 青木ケン(guitar, vo)
照内央晴(piano)+木村 由(dance)
Fujiyo(vo, guitar)+Yano Chan(guitar)+α
問合せ: 03-6383-0445(koen the TAO)



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 高円寺にある福祉作業所「koen the TAO」は、持ちこみ自由の喫茶店レストランとしてNPO法人が運営している障害者自立支援の場所だが、人々が自由に集うことのできる「屋内公園」を自称している。福祉作業所に「園」の名前が多いことと高円寺をかけているらしいことは見当がつくが、さらに重要なのは、ハンディキャップを負った人々を一方的な保護の対象にすることで、その善意にもかかわらず、結果的に社会から隔離してしまうことになる弊害を避けるため、(公園のように)地域に開かれた場所作りをめざしているということではないかと思う。「TAO」では、「東京雑楽堂」の主催で無料のコンサート「コマの足りないジグソーパズル」が開かれてきたが、これにピアニスト照内央晴が出演していて、420日(土)の第31回公演には、ダンサー木村由とのデュオで登場する運びとなったわけである。フォーク弾き語りの間に挟まって、一般には前衛的に感じられるだろうピアノとダンスの夕べが、実際にどう受け取られたのか知るよしもないが、この日の観客層を意識してか、パフォーマンス自体はわかりやすい展開をしていたと思う。照内央晴のピアノ、木村由のダンス、ともに個性的な表情を持つパフォーマンスのショーケースとして楽しむことができた。

 木村由と照内央晴の共演はこれが三度目となるが、「照リ極マレバ木ヨリコボルル」というタイトルをもつ二度目のセッション(20121223日)が、ダンス用の照明を入れた真っ向勝負だったのにくらべると、今回のものは、木村が初回の衣装を引用したことにはじまり、椅子の使用、床への突然の落下、直立しながら風に揺れる身体というように、いくつもの点で高円寺ペンギンハウスの初回セッションを連想させた。あのとき、壁際のアップライトピアノを弾いた照内は、ダンサーを見ることができず、共演者に背中を向けたまま弾奏したのだった。すなわち、初回を知らないものには、即興するダンスと音楽のショーケースだった「TAO」公演は、たまたま初回を見ていたものには、引用され、ずらされる身ぶりによって、過去の時間と現在の時間が二重映しになるような経験の場になったのである。ライティングで固有の空間構成をしなくても、このデュオは、楷書体の照内に草書体の木村というように、もともと表現の文体が異なっているため、パフォーマンスが二重焦点=楕円構造をとりやすい。この日、ピアノに踊らされる気味のあった木村が、フリーな展開のまっただなかで、出発点となった椅子に腰をおろし、繊細かつシームレスな動きを構成しなおした場面などが、デュオ演奏としてはもっとも力強い表現を獲得していたように思う。

 たとえば、椅子に腰かけて天井を見あげる。この動作が初回公演にあらわれたとき、木村は振り向かずにピアノ演奏をしていた照内の背中まで椅子を移動させ、そのことでパフォーマンスの終わりを(それとなく)示唆したのだが、今回はその終わりの形から、さらにふたつの椅子を使う最終場面を展開し、最後には椅子のうえに立って「ストップ」のサイン(左手の手のひらを広げて前方にさし出すしぐさ)を出すところまでいった。全体の流れは、楽章を区切って演奏するピアノによって作られた。(1)ダンサーのゆっくりとした動きを誘いだす、間の多い、散らし書きの序奏部分、(2)ダンスとピアノがパッショネートに切り結ぶ激しいフリーの演奏、<床への突然の落下>をはさみ、(3)パフォーマンスの出発点になった椅子のうえに立って演技するダンサーと、印象派ふうのジャズ・バラッドによる緩徐楽章、そして(4)中央に椅子を持ち出すカデンツァ部分である。ここで姿勢よく椅子のうえに立った木村は、いけないことを言ってしまったかのように手で口をおおい、頭痛がするかのように右の頭髪を手でおさえた。ちょっとしたことのように見えるが、これこそ一瞬にして意味を脱臼させてしまうもっとも木村らしい身ぶりであり、ダンスである。

 パフォーマンスの出発点となった椅子を、もとの位置に置いたままそのうえに立つこと、あるいは、動かしたあとの椅子のうえにパフォーマンスの着地点をおくこと──ステージの床から浮きながらの演技となるこれらの選択は、いうまでもなく、現在、卓上に立つ形に落ち着いている木村のちゃぶ台ダンスに直結したものである。ちゃぶ台よりも狭く、姿勢が不安定になる木製スツールのうえで、ヴァリエーションのある身ぶりを展開する木村のアイディアと身体能力はさすがだが、そうした技術的なことではなく、私たちはそのとき彼女が立っている場所に注目しなくてはならないだろう。このことは、木村の無音独舞公演「ひっそりかん」が、明大前キッドの最上階でおこなわれることとも、あるいは、彼女がダンスのいたるところで不安定な姿勢を選択することとも無関係ではないように思われる。周辺事情はさまざまでも、そうした違いを無視して、彼女のダンスを深いところで支えるこの衝動を、あるいは肉化されたダンス思想というべきものを、やや奇妙な言い方になるが、<二階にあがる>と一般化して呼ぶことにしたい。実際には、何階でもおなじことなのだが、要はステージの床のような「ここ」とは別の(「あそこ」ではない)位相に身を移したことを意味する身ぶりのことである。そこにしかあらわれない彼女らしさの謎がある。





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高円寺 koen the TAO