2013年4月8日月曜日

長沢 哲+木村 由: 風の行方 砂の囁き



長沢 哲木村 由
風の行方  砂の囁き
日時: 2013年4月7日(日)
会場: 東京/八丁堀「七針」
(東京都中央区新川2-7-1 オリエンタルビル地階)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000
出演: 木村 由(dance) 長沢 哲(drums, percussion)
予約・問合せ: TEL.070-5082-7581(七針)



♬♬♬




 ドラムス/パーカッションの長沢哲とダンサーの木村由、昨年の11月中旬、長沢が江古田フライング・ティーポットで主催する「Fragments」シリーズに、木村を迎えておこなった初セッションは、会場に持ちこんだ投光器を床に転がすライティングが絶大な効果をあげ、洞窟へと一変したライヴハウスの壁にダンサーの影が踊るという、私たちの記憶の古層に訴えかけるイマジナリーなパフォーマンスとなった。ライトを持ちこんだからといって、また地階だからといって、その場所がかならずしも洞窟化するとはかぎらないので、これは木村のダンス、長沢の打楽のたまものといえるだろう。なかんずく長沢のドラミングは、ミニマルな時間的展開をするとともに、サウンドの奥行きを描き出すことにもたけている。亡霊的でもあれば、ときに機械じかけの人形やロボットを思わせもする木村のダンスは、シームレスで、緩慢な動きをベースに構成されているが、この晩は、まるで木の仏像に魂が宿って動き回るかのように、なにものかに触発され、動いてはならないものが動いてしまうような幻惑的な身ぶりを、次から次へと連ねていた。どうやら長沢打楽が持っている世界の奥行き(あるいは空間性)が、ダンス・インプロヴィゼーションを展開する木村の身体を触発する舞台となっているようである。

 換言すれば、身ぶりの出現を支える身体があり、そうした身体が立ちあらわれるための(ライトで視覚構成される)リアルな場があり、同時に、(サウンドで聴覚構成される)イマジナリーな奥行き──あるいは、墨絵の空間性とでもいったもの──がある。これらの重なりこそが、ライヴで観客が体験するもののように思われる。デュオの間で展開されるこうしたイメージ力学を、初回公演のレポートでは、「(デュオは)ともに静寂を、あるいは沈黙を、表現の糧にする部分が重なるともいえるだろうが、静寂どうしの、あるいは沈黙どうしの接近は、ふたつの闇が重ねあわさるようにアンサンブルするという以上に、闇がもつ固有の色彩の相違を際立たせる」と書いた。似た者どうしの接近による差異の浮上というわけである。七針での再会セッション「風の行方 砂の囁き」では、初回のソロ/ソロ/デュオという三部構成が、デュオ/デュオの二部構成になったため、床のうえに置かれるライトも、前後半で明暗の対称性を際立たせるように工夫された。完全生音の公演だったため、使用しない下手側のスピーカーをどけてステージを拡大し、打楽器はコーナーにできるだけ寄せてセッティングされた。ふたつのライトは、でこぼこした壁の表面を浮き立たせながら、壁面に沿って光を走らせるのだが、位置関係から、「明」を際立たせた前半では演奏者を正面から、「暗」を際立たせた後半では演奏者を側面から、それぞれ射ることになった。

 床に置かれるライトがふたつになったのは、ダンスする場の構造を変えるためではなく、前後半のセットに変化を持たせるためだったので、前述したデュオのイメージ力学には、まったく影響を与えなかった。再会セッションにおいては、むしろそうした安定的な関係を前提に、前回を大きくうわまわるような、瞬発力のある、起伏の多い、ダイナミックなパフォーマンスが展開された。公演の最後まで、緊迫感にあふれた即興演奏が持続したのは、初回公演で、ダンスの書き割りとなるような音風景をドラムで描き出していた長沢が、彼ならではの奥行きのある世界を作り出しながらも、ダンサーの身ぶりに合わせて伴奏するというのではなく、即興性の高い肉声のサウンドを、木村の身体にぶつけるように演奏したことにあるだろう。それはリズム的な交感というより、むしろ身体的な交感と呼ぶべきものになっていたと思う。即興演奏とダンスが共演する場合、即興する身体が音楽に踊らされないよう、ステージ上に独自の空間構成をおこなうことで、二重焦点の舞台を構成することが多い。即興演奏との間にずれや距離を作り出すテクニックは、木村もお手のものである。しかしこの日は、共演者と身体的な交感をおこなっているだけで、またたく間に時間が経過していった。

 ステージが広がれば、ダンスする身体に大きな自由が与えられる。その結果、みずからの身体に対するダンサーのイメージも、大きなヴァリエーションを獲得することになる。たとえば、床のうえに腰をおろしたり横たわったりするだけだったものが、安心して転がれたり、這いまわれたりすれば、そこから別のイメージ展開がはじまる。おそらくはこの要素も、この晩のパフォーマンスにダイナミズムを与えたもののひとつだろう。木村のダンスには、突然に倒れるという場面がよく出てくる。いつもは地球の引力にまかせて、といった感じなのだが、この晩は、床のうえにダイビングするようにして決然とおこなわれた。あふれるように湧き出てくる動きの数々。長沢のドラムと、上手に置かれたアップライト・ピアノとの間に通路のようなものができていて、その奥には客席からもっとも遠い壁がある。下手側の壁とならんで、ステージ奥のこの壁も、木村には重要なダンス環境だ。闇のなかの静止した立ち姿からスタートした後半のセットでは、奥の壁前のライトを背にして影になった彼女が、激しいダンスをくりひろげたのが印象的だった。さらに終演直前、打楽器前の暗がりに横たわった身体が、ゆっくりと楽器前を這っていく場面は、ひとつの終わりを終わることへの執着をみせて、ことさらに迫るものがあった。おそらくはこの這う女こそが、この晩の演奏を雄弁に物語っていたのではあるまいか。






  【関連記事|長沢 哲+木村 由】
   「長沢 哲: Fragments vol.14 with 木村 由」(2012-12-01)

-------------------------------------------------------------------------------