2013年4月6日土曜日

三ツ井嘉子: Experiment vol.1



三ツ井嘉子: Experiment vol.1
日時: 2013年4月5日(金)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: 投げ銭+1drink order
出演: 三ツ井嘉子(flute, field recording)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)



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 「実験音楽」というのは、ジョン・ケージにはじまる現代音楽の一ジャンルとして、あるいはいまだ分類を許容しない同時代音楽・雑種音楽の総称(フィリップ・ロベール)として知られているが、フルート奏者の三ツ井嘉子が自身のソロ演奏に採用したタイトル「Experiment」は、言葉の原義に戻り、(言葉による)あらかじめの問いかけを通して一連の作業仮説を構築し、実際に試みてみるというパフォーマンスで、問いかけは音楽をめぐるさまざまな要素にわたっている。事前に発表された6項目のテーマを、私なりの言葉で要約してみる。(1)即興演奏と作品概念の関係。(2)即興演奏への物語性の導入。(3)フィールド・レコーディングの存在意味。(4)事前に公演のテーマを公表することの可否。(5)投げ銭システムの考察。音楽の値段とは?(6)演奏の空間性・場所性。実際の公演は、三ツ井自身がさまざまな場所で録音した環境音(というより生活音というべきか)を、ほとんど加工することなく、映画的なモンタージュをほどこして再構成したものを流しながら、会場内を歩きまわる三ツ井が、フルートの即興演奏をするというものだった。ステージからもっとも遠いトイレのスペースにまで入りこみ、ひときわ高くフルートを吹き鳴らすこともあった。場所による響きの変化はつねに意識されていて、用意された脚立に昇って天井に音を反響させたり、ステージに立てられた一本のマイクに近づいたり遠ざかったりすることで、生音とスピーカー音のアンサンブルを変化させたりした。

 作業仮説としてのテーマ音楽パフォーマンスによる実験結果の検証と考察、という一連の過程のなかに、聴き手や観客を巻きこむ公開のコンサート形式がビルトインされている。作業仮説が理論となるまでには、実験がくりかえされなくてはならない。即興演奏のような音楽の場合は、科学的な実験と違って、データがすべてというわけではなく、聴き手ひとりひとりの心のなかで起こること、演奏に対する嗜好や解釈の多様性が、音楽そのものの豊かさを実証することになるという点にある。これがやっかいなのは、この多様性を簡単に知ることのできる手段が存在しないからだ。かつて千駄ヶ谷にあったループラインでは、「Experiment」のような数々の「実験音楽」が公演されていたが、そこではしばしばミュージシャン=パフォーマーが、公演後に聴き手に感想を求めた。当時はその意味をつかみかねていたのだが、いまにして思えば、この感想聴取会は、パフォーマンスの一環というべきもので、解釈の正しさを議論するためのものなどではなく、(もし体験者の心のなかでなにがしかの出来事が起こっていたとすれば、その)出来事をめぐる解釈の多様性を確認し、共有するための対話をしていたのだとわかる。このときのライヴは、表現者の表現を、聴き手や観客が一方的に見たり聴いたりする場ではなく、すべての参加者にとって多様でしかない出来事そのものを主人公にする場へと変化している。ミュージシャンの意味も、即興演奏の意味も、別のものに変わっているのである。

 スピーカーから流れるフィールド・レコーディングを使った音風景が、フルート演奏がされるライヴ空間に、ヴァーチャルな空間を折り重ねる。多重化される空間性。あるいは空間のパリンプセスト。潮騒の響きと思ったものは、後で確認すると、交通量の多い往来に立っての録音とのことで、サウンドスケープから聴き手がなにを連想するかはあまりあてにならないが、短い周期で次々に移り変わっていく音風景は、電車のなかの会話、駅ホームのアナウンス(「原宿、原宿です。ご乗車ありがとうございます」等)、カラスの鳴き声、小鳥の鳴き声、人々の雑踏、ゲームセンターの音楽、フライパンで料理をする音、チョロチョロと水のしたたる音、集団で打たれる団扇太鼓の響きなど、彼女の住む、また私たちの住む東京という都市の生活音から構成されていた。ケースによっては、いくつかの音源を重ねる場合もあるとのこと。三ツ井は「演劇などのように物語を音で表現してみたい」「あらゆる感情を表現したい」という表現欲求ものぞかせているが、ここでいわれている「演劇のような物語」も「あらゆる感情」も、大きくいえば、出来事への感応性に支えられたものではないかと思われる。音風景が途切れてから、少しだけフルートの演奏がつづいてワンセットが終わる。前後半ともに30分強の演奏だった。

 三ツ井嘉子のフルート演奏は、即興という点では、加藤崇之からの強い影響を受け、フリージャズを演奏していた時期もあるというところから、基本的には、感情表現と強く結びついたジャズ的強度を備えたものということができるのだろう。この日の演奏は、フィールド・レコーディングの音風景が描き出すヴァーチャル空間の平面性に対して、リアルタイム空間の立体性を強調するように、一枚のガラスでできている入口の扉前に立って演奏したり、脚立に昇り、反響を使って天井から音を降らせたり、鰻の寝床のようにまっすぐに伸びた通路を往復して演奏したり、会場から死角になったトイレの手洗い場にはいりこんで演奏したり、ステージの立ち位置を変えながら、マイクが拾うスピーカー音と生音とを配分しながら演奏したりと、フルートという楽器を、まるでものに触れまわる指のように使って、フライング・ティーポットの空間を隅々まで探索していくようなパフォーマンスをおこなった。フルートの響きは、演奏者の感情を乗せるだけではなく、ときに語りのようであり、ときに情景描写的であり、きれいな響きだけにならないよう声をまじえて演奏したり、息だけになったり、第二部では、「星めぐりのうた」を変奏したようなメロディーまで奏でるなど、演奏経験の豊富なところをのぞかせながら、けっして一本調子にならない多彩さでソロ演奏を構成していた。こうしたフルート演奏に体現されているのは、三ツ井自身が多様な欲求を持ったデキゴトロジストだということであろう。





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