2013年5月19日日曜日

新井陽子+木村 由: 1の相点@中野テルプシコール



新井陽子木村 由
1の相点
日時: 2013年5月18日(土)
会場: 東京/中野「テルプシコール」
(東京都中野区中野3-49-15-1F)
開場: 6:30p.m.,開演: 7:00p.m.
料金/予約: ¥2,000、当日: ¥2,500
出演: 新井陽子(piano, etc.) 木村由(dance)
衣装/照明: ソライロヤ
問合せ: 03-3338-2728(テルプシコール)



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 自主的に活動する舞踏家たちの登竜門であり、定点観測の地点ともなっている「舞踏新人シリーズ」の主催や、舞踏評論に場を提供する機関紙『テルプシコール通信』の隔月刊行(中村文昭『舞踏の水際』のように、連載記事がのちに単行本化されたケースもある)など、1981年の設立から30年以上の長年月にわたり、舞踏を中心に、自主的な身体表現の活動を支えてきた中野テルプシコールは、独立独歩ではあっても、舞踏家とはいえない(だろう)ダンサーの木村由にとっても、重要な公演場所のひとつになっている。明大前キッドアイラックアートホールでも、舞踏公演は多くおこなわれているが、舞踏の記憶が堆積する場所であるだけでなく、それらを積極的に受け継ごうとしている点で、中野テルプシコールは、絶えざる歴史の再構築をミッションとする特別な場所といえるだろう。ピアニスト新井陽子との共演にあたり、新井が出した提案のひとつが、広い会場でのパフォーマンスだったところから、木村にとっては、前回の「ケラッ カラッカラッ」公演から15ヶ月ぶりとなるこの場所が選ばれ、ソライロヤに衣装と照明を依頼する本格的な舞台公演となった。

 木村が即興演奏家とおこなうセッションにおいて、その必要があるとき、衣装と照明はいつもダンサー自身が担当している。それは人手が足りないからというより、それが他人まかせにできない事柄だからであって、ステージを準備する仕込作業のなかで、ダンスの空間構造と記憶の問題が、それとなく(ひそかに/観客には知らされない形で/見るものの視線を外側から構造化するものとして)提起されることになる。即興ダンスの一環を担う重要な作業というべきだろう。いつもより広い会場を使った「1の相点」でも、例によって、下手の床に転がされたライトが、ステージ上のグランドピアノと演奏家を背中から射抜き、観客の前面にそそり立つコンクリート壁に、長くのびた影を投影していた。ダンスの出発点が、壁に投影された影の先(上手奥の壁前)に置かれること、上手に大きく広がったダンス空間と、ピアノが(物理的に)占有する下手の音楽空間との間の境界領域に、偶然からか、新井のオルゴール群が配置されたこと、演奏家を背後から照らし出しているライトの光源を、出発点に対応する極(ダンスの流れのなかで、必ずしも「終着点」になるわけではない)に想定してピアノの周囲を回るなど、ダンスは木村が慣れ親しんだ基本動線のなかのヴァリエーションとしておこなわれたように思う。

 かたや新井陽子の演奏は、ミュージシャンどうしの即興セッションのように、彼女自身の音楽をぶつけるというのではなく、演奏をセーブし、木村のダンスを注意深く追いながら、沈着冷静に音で演出をほどこしていくというものだった。ダンサーが相手にしたのは、演奏家との身体的な交感というより、むしろ演出家の視線ではなかったかと思う。それほどまでに、「1の相点」は、木村がしている他の演奏家との即興セッションと異質なものだった。公演の冒頭、オルゴールを鳴らしながら入場してくる新井と、そのあとにつづく木村。おなじ衣装を着けて、まるで姉妹のようなふたり。ポツポツと間歇的に鳴らされるピアノと壁前のダンスで開幕。いつもより天井を見あげるしぐさが多い木村だったが、その視線は少し焦点が定まらない感じ。視線が対象に届く前に消えてしまうような印象だった。新井はピアノ線のうえにモノを乗せ、さわりの音を出しながらの演奏へと移行する。変化を感じとって床に倒れこんだ木村は、やがてピアノにいざり寄ると、床に置かれたオルゴールを、積み木のように積みあげはじめた。前半最初の転調である。右手でメロディを鳴らしながら、左手で皮つきのタンバリンを支え、そのなかにビー玉をいくつも投げ入れては回転させて音を出す新井。この演奏は木村がオルゴールを離れるまでつづき、立ち去った木村と入れかわった新井は、オルゴールを次々に鳴らしてから、今度は、ピアノ線をピックのようなもので直接はじき、暗雲立ちこめるような不穏なサウンドを生み出していく。

 新井の散らし書きの演奏と、壁づたいにゆっくりとピアノを回りこんでいく木村。新井の背後で、床に落ちたビー玉を発見した木村は、床にはいつくばって猫のようにビー玉にじゃれつき、みごとなコントロールで遠くに飛ばした。ダンサーに背後をとられたこの場面で、ピアノの散らし書きをつづけながら、ときに竹笛をチープに鳴らしてみせる新井のセンスは抜群だった。床に置かれたライトに、至近距離で身体をさらした木村は、上手の壁前に戻って、深くお辞儀をするように身体を二つ折りにしたかと思うと、最前列に三人のカメラマンが居並ぶあたりの観客席をめがけ、まるで階段を転落するような勢いで、床面を一気呵成に転がっていった。いったいどのようにしたら転がる先がコントロールできるのだろう。これに一瞬遅れをとりながらも、新井はピアノ高音部の連打で酬いる。再度立ちあがった木村は、上手の太い柱に身体をあずけながら、四肢を自由にしてダンスする最終シーンに突入した。階段落ちをしてからは、まるで憑き物が落ちた感じで、木村ダンスの特徴になっている身ぶりの美しさが、湧き水のように展開される場面がつづいた。おたがいのパフォーマンスを尊重しすぎるからなのか、おたがいのアクションを読みすぎるからなのかよくわからないのだが、練達のこのふたりにして、即興セッションが無難な挨拶に終わったり、予定調和に陥ったりしないようにするのがポイントの公演だったように思う。




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