2013年6月6日木曜日

伊津野重美: フォルテピアニシモ Vol.9



伊津野重美: フォルテピアニシモ Vol.9
~ consider yourself a soul ~
日時: 2013年6月5日(水)
会場: 東京/吉祥寺「スター・パインズ・カフェ」
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 トクタケ・パーキング・ビル B1)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥2,500、当日: ¥3,000+order
出演: 伊津野重美(朗読) 森重靖宗(cello)
協力: 真鍋淳子 記録: 田中 流
制作: 赤刎千久子
予約・問合せ: TEL.0422-23-2251(スター・パインズ・カフェ)



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 飛びながら海に見る夢 この星のヒトの行方を 教えてアジサシ


 歌人の伊津野重美は、この数年、チェロの森重靖宗をゲストに迎えた朗読会「フォルテピアニシモ」を、年に一度、文化の日に開催しているが、余裕があれば、おなじ年の上半期にもうひとつ朗読会を開くことがある。「consider yourself a soul」とタイトルされた今回の朗読会は、そうした上半期のソロ公演である。前回の「Rebirth」公演では、椅子を使った舞台装置が効果をあげていたが、今回は、透明の、あるいは半透明のビニール傘が、天井からぶらさがったり、観客席で傘をひらいたりして、舞台装置をつとめていた。川のように蛇行して曲線を描く会場照明が、ステージ奥から、中央が広く開けられた観客席を貫いている。公演開始とともに蛇行する光の帯が消えると、舞台中央にスポットがあたり、裸足の歌人がそのなかに立つ。三部構成の朗読会は、毎回、伊津野自身が時間をかけて練りあげるもので、何度も読みかえされる詩と新たな作品を組みあわせ、声によって言葉に新たな生命を吹きこんでいく。森重のチェロ演奏も、ここでは伊津野の声にこたえるひとつの声としてあり、いくつもの言葉、いくつもの声の交錯のなかで、「フォルテピアニシモ」ならではの詩的ドラマツルギーが形作られていく。

 歌集『紙ピアノ』(2006年、風媒社)所収の短歌にはじまり、「ちいさな炎」や「れいこ」といった詩、あるいは書き下ろしの断章「シアン」など、自作品の朗読を中心に構成された第一部には、ほぼおなじ音の高さを保つ、ひとりごとのような、祈りのような、歌うような声が登場する。私がいまも私であることを確認しつづけるための声。伊津野の短歌や詩がそうであるように、声はひとつの文体をもち、同時に(自身の身体に触れるようにして)みずからに語りかける内省的なものとなっている。この声は、伊津野重美が誰だか知らなくても、私たちが彼女のなかで起こっている出来事に接近したり、参加したりすることを可能にするものといえるだろう。かたや、森重靖宗が加わる第二部では、宮沢賢治、魯迅、尹東柱、山村暮鳥、伊東静雄、辺見庸の作品がメドレーで朗読されるが、ここでは詩のメッセージ性を外に向かって解き放つ別の声が登場する。他者(の言葉)をケアする声ともいえるだろうか。前回の公演につづいて、辺見庸の「死者にことばをあてがえ」が朗読されたが、3.11原発震災という未曾有の出来事にたちむかう詩の連帯(表明)として、特筆すべきものだろう。休憩なしでつづけられた第三部は、単発の作品を味わうというより、「フォルテピアニシモ」の大団円として置かれたもののようだった。

 ヨーロッパツアーから戻って一週間という森重靖宗の演奏は、耳に注意を集中しないと聴こえないほどの小さな響きからスタートした。しばらくして伊津野の声を迎え入れると、朗読の流れに沿って演奏を構成しながら、途中でメロディアスになる展開を入れたりした。特に、辺見庸の「死者にことばをあてがえ」では、チェロのテールピース部分を弓奏する特殊奏法で超低音を出し、見せ場を作った。第二部の最後には、宮沢賢治の「永訣の朝」「宗谷挽歌」(部分)などが朗読されたが、ダンスでもするようにリズミカルに身体をはずませ強度をあげた伊津野の声は、深いチェロの響きと感情の交感をおこなった。ふたりのこの場面は、何度見ても魅力的だ。セッションの前半、微細なサウンドを多用した森重のチェロ演奏は、伊津野から少し離れた場所で、小さな焚き火がチロチロと燃えているような感じで、朗読を伴奏する役割を大きく超えて、即興演奏が存在を奏でるための音楽であることを雄弁に物語っていた。こんなふうにふたつの孤独を刻むような前半の展開が、後半に登場した感情の響かせあいを、いっそう際立たせたと思う。朗読を終えた伊津野は、チェロ奏者を残していったん退場、しばらく森重がソロ演奏を聴かせた。

 今回の公演で興味深かったのは、第一部で朗読された、書き下ろしの断章「シアン」である。もっと正確にいうなら、「シアン」のなかに登場するふたつの声である。そのひとつは作者と等身大の声であり、もうひとつは、いったいどこからやってくるのか、作者と等身大の声に、こうしてくださいああしてくださいと、一方的な指令を出す出所不明の声である。断章「シアン」は、この非対称のふたつの声からなり、声はテクストの構造をトレースするものになっている。にぎやかな場所に人々といる主人公にやってくる、過去の時間からの誘いのような声が、断章の物語を構成していくが、謎の声が出す指令は、誘惑的なものでも脅迫的なものでもなく、あえていうなら事務的な響きをもって発せられていた。たとえば、宮沢賢治の『注文の多い料理店』に出てくる、硝子戸や扉に書かれた文字のような。伊津野はその文字を、ただ機械的に読んでいるだけというふうに聞こえる。立て看板に書かれた宛先のない指令など、従っても従わなくてもどちらでもいいものだろう。それにもかかわらず、主人公は不思議な声の指令に従って地下へと降りていき、ひとりの子どもと出会うことになる。声が感情を持つようには、文字は感情を持つことがない。そうでありながら、私たちは文字をたどってある感情に到達する。もしかするとこれは、文学の秘密というべきものなのかもしれない。



文中に掲載した写真は、すべて専属カメラマン     
田中流さんのものです。ありがとうございました。   


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