2016年7月19日火曜日

【書評】『ダンスワーク74』(2016年夏号)


『ダンスワーク74』
(ダンスワーク舎、2016夏号)
編集人:長谷川六、副編集人:入江淳子

【特集:舞踊批評──透視するものとは】
入江淳子「観ること、書くこと」
北里義之「現場主義」
児玉初穂「批評家の直観」
志賀信夫「批評の社会性」
宮田徹也「『提灯記事』の歴史」
長谷川六「舞踊批評の環境」
笠井叡「第47回舞踊批評家協会賞辞退について」
[笠井叡ブログより転載]
長谷川六
「笠井叡の舞踊批評家協会賞受賞拒否問題に端を発した舞踊批評家の集い」

【連載】
萩谷京子「備忘録2:舞踊の後先」
まつざきえり「ダンス人生2:私の80年代、90年代」
大倉摩矢子「キュレーターの仕事をして:ふつうの毎日がおもしろい」
三浦太紀「制作日記6:BONANZAGRAMとともに」

【公演評】
児玉初穂
「圧倒的な生成感
山崎広太『暗黒計画1~足の甲を乾いている光にさらす~』」
北里義之
「東日本大震災とダンススペース
加藤みや子『Voice from Monochrome』」
「生を尽くして死と対峙する
劇団態変『ルンタ(風の馬)~いい風よ吹け~』」
「山崎広太『暗黒計画1~足の甲を乾いている光にさらす~』」
「国家を扱い反戦を掲げたダンス公演
笠井叡『オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」』」
関根摩耶
「あの世とこの世を行き来しているように おかっぱ企画『竜の煙』」
宮田徹也
「小林嵯峨+ホムンクルス 部屋と絵と行為「坂巻ルーム」」
「5年ぶりの復活 川村浪子ダンス『ゆっくり あるく』」
入江淳子
「揺らぐ身体の問い 多田汐里+赤川純一『Into the Cave』」
「抽象化された苦難:とりふね舞踏舎『SAI』」
長谷川六
「Company Resonance vol.15.5『永永永』」
「完成したものは簡単に破壊されるという示唆
Minichrome Circus x Tori YAMANAKA『TOROPE 3.0』」

【追悼】
深谷正子「堀切敍子さんとの時間」

長谷川六「知と不知」
追悼/人物交流/催事/出版/訃報、編集後記
(注文:d_work@yf6.so-net.ne.jp)



♬♬♬



 『ダンスワーク74』は、笠井叡氏の第47回舞踊批評家協会賞辞退という事件が発端となって、舞踊批評という、通常ならばほとんどスポットがあたることのない領域が、逆説的な形でフィーチャーされたことを重要な契機として受けとめ、事件の顛末や舞踊批評界の対応を踏まえた特集「舞踊批評──透視するものとは」を組んでいる。一般的なダンス批評論を集めた特集ではなく、『ダンスワーク』を批評活動の場とする執筆者が、それぞれの批評スタンスを開示することで、同誌の編集責任者である長谷川六氏が、出来事の渦中における『ダンスワーク』の立場表明にかえたものと受けとめられるだろう。

 出来事の経緯をたどる長谷川氏のテクストや、協会に所属する当事者のひとり志賀信夫氏の個人的な見解などは、新たな情報を含んでいて特に重要であるが、原稿の締め切り以後に、舞踊批評家協会の世話人を務め、問題になった推薦文を執筆した古沢俊美氏が、おなじく世話人である関口紘一氏との連名で『毎日新聞』(201666日、東京夕刊)に「真意」を語った記事が公表される以前の段階にとどまっており、特集内でこのリーク記事に関する見解は述べられていない。この記事をもって、志賀氏が提案したという「賛成・反対同数で受け入れられなかった」(15頁)謝罪文の公表について、反対側にまわった(と想像される)2名の見解/弁明が公式に出揃う形となったといえる。記事の末尾は、笠井氏の授賞辞退について、古沢氏の言を採用しつつ、協会側は『舞踊の言語化について深く追究せよ、という課題と受け止め、糧にしたい』と話し、対応について慎重な協議を続けている。」としているが、これは責任をとりたくないため問題をはぐらかす官僚的答弁としかいえないだろう。過去の経緯の如何にかかわらず、起こった事件に対して、(本来ならば授賞式以前に、早急に)内部で対応を取りまとめ、記者会見などで舞踊批評家協会の総意(主体性)を示すことができず、後々になって姑息なメディア対策に及ぶといった経緯自体に、協会の体質があらわれていると判断せざるを得ない。

 文学や音楽でもうけられている数々の賞は、名誉を授与するものではなく、業界が業界として機能するための宣伝に過ぎない。うがった見方をすれば、笠井氏にとって、今回の事件は、舞踊批評家協会賞の受賞よりもはるかに宣伝効果が高かったといえるだろう。批評家たちがすったもんだしている結果だけ見れば、笠井氏のほうが役者が一枚も二枚も上手であることがわかる。この宣伝効果については、笠井ブログに授賞辞退のテクストがあがった直後、武藤大祐氏が「叩く価値もないものを叩く身振りを派手に盛り上げ自己PR乙、って感じ」とツイートしていた。歴史ある協会が、今回のスキャンダルにまみれながらも存続していくだろうことを前提にすれば、そこに解決すべき組織の問題があることは明々白々だが、これは第一義的に議論を正常化する新しい人材をリクルートできない(そうした魅力的な批評環境を提供できていない)協会内部の問題である。いま、そのことを別にすれば、ここにはふたつの問題があるように思われる。ひとつは、笠井氏が批判していたように、また本誌所収のテクストで志賀氏や宮田氏が触れていたように、舞踊批評が、社会的には宣伝機能しか期待されていないという舞踊批評の危機。もうひとつは、毎年おなじような顔ぶれの間で賞を回さざるを得なくなっているという斯界の閉塞性に端を発する舞踊の危機。いずれも既得権益者の内紛と批判されても返す言葉がないだろう。

 ちゃぶ台がえしのような話になるが、今回の事件が新聞ネタにもなったことで、舞踊批評家協会の存在がようやく一般の目にもとまったというような舞踊批評の社会環境にあって、舞踊批評の危機をいうこと自体、どこかピントはずれのようにも思われる。斯界の内紛というだけのことならば、コップのなかの嵐というに過ぎないからだ。一方で、批評家たちに危機感があるのはたしかなように思われる。ただその危機感がなにに由来するのか本人たちにもよくわからず漠然としているということ自体が、危機的な事態を招いているというやっかいさがある。そもそも舞踊批評の危機などということを、批評家たちが真剣に考え抜いたことが過去にあったのだろうか。舞踊批評の自己分析と自己批判、批評家どうしの議論などがさかんにおこなわれていない現状、むしろほとんど不在というべき現状では、そうした問題が浮き彫りになることもない。議論はむしろこれから本格化されることが期待されるが、その際、批評の危機、批評家の危機、舞踊批評の危機、舞踊批評家の危機、舞踊の危機、舞踊家の危機というように、危機の種類をいくつにもわけて分析していく必要があると思われる。私たちがなすべきことは、まず危機感の正体を見極めることだ。本誌の批評特集もまた、これからはじまるそうした長い議論のなかの欠くべからざる一歩となるべく、さらなる努力の積み重ねをつづけなくてはならないだろう。


 【関連記事|季刊ダンスワーク】
  「【書評】『ダンスワーク67号』(2014年秋号)」(2014-10-28)
  「【書評】『ダンスワーク73』(2016年春号)」(2016-03-26)


-------------------------------------------------------------------------------

【購入方法】
[通信販売]
郵便振替口座 東京00120-3-42513 ダンスワーク舎
金額: 800円+送料: 100円 合計: 900円
通信欄に「ダンスワーク73 特集:1970年代日本のダンス」とお書きください。

[取り扱い店舗・スペース]
在庫をご確認の上お申し込みください。
中野ブロードウェイ3階<タコシェ> TEL:03-5343-3010
東陽町<アートスペース.kiten>
宇都宮<be off> TEL:028-601-2652
中野<テルプシコール> TEL:03-3383-3719
新宿<ダンスワーク舎> TEL:03-3443-2622
email: d_work@yf16.so-net.ne.jp


-------------------------------------------------------------------------------