2012年12月1日土曜日

長沢 哲: Fragments vol.14 with 木村 由



長沢 哲: Fragments  vol.14
with 木村 由
日時: 2012年11月18日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+order
出演: 長沢 哲(drums, percussion)
木村 由(dance)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)



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 江古田フライングティーポットで開かれている長沢哲「Fragmentsシリーズの第14回公演に、ダンスの木村由が迎えられた。ミュージシャン以外のゲストは、今回が初めてとのこと。ここ数回の公演にかぎっても、ユニークな女性即興デュオ “zma”(池田陽子、三ツ井嘉子)やテルミン弾き語りの賃貸人格などをゲストにした「Fragments」は、日常的な交流をめざす即興セッションの域をはみ出して、むしろ「実験的」といったほうがいいような組合わせを積極的に試みており、「あの日に壊れたものの破片を拾い集めて新しい何かを形作る」(長沢)という、3.11後に訪れた崩壊感覚を新たな創造に結びつける実践を、高いハードルを設定して進めていこうとしているように思われる。特に、磨きあげたサウンドをひとつひとつていねいに積みあげていく長沢打楽とって、身体表現との越境的パフォーマンスというのは、例外的な事態の引き受けを意味するはずだ。しかも選ばれたダンサーは木村由という、個性的であるとともに、パフォーマンスの、あるいは身体そのものの強烈な喚起力をもって人を魅了する舞姫なのである。ともに静寂を、あるいは沈黙を、表現の糧にする部分が重なるともいえるだろうが、静寂どうしの、あるいは沈黙どうしの接近は、ふたつの闇が重ねあわさるようにアンサンブルするという以上に、闇がもつ固有の色彩の相違を際立たせるものとなったのではないかと思う。

 作品を作りこむのではなく、場所をテーマに無伴奏で踊る木村由を見たのは「ひっそりかん」(1014日、明大前キッドアイラックアートホール5階展示室)につづいて二度目である。いうまでもなく、地階にある江古田フライングティーポットは、照明を暗転すれば、入口の非常灯だけが緑色に輝く細長い洞窟のような地下空間となるのだが、その洞窟に一台の投光器を持ちこんだ木村由は、ライヴハウスの壁に彼女自身の影を大きく投影しながら、無伴奏ソロと長沢哲とのデュオをパフォーマンスした。暗闇を構造化するのは光である。屋上展示室でおこなわれた「ひっそりかん」の自然光が、彼女をフェルメールの絵のなかの人物に見せる影を作り出したように、地下空間の暗闇を引き裂いて壁に投影された大きな影は、ライヴハウスをその日常性から切り離し(解放し)、ここではないもうひとつの場所へと構造化した。シンプルな舞台装置ながら効果は抜群である。みずからの影とダンスする木村由は、これも彼女の特徴になっている壁を基準とする立ち位置の決定をし、ときには壁際に立って影を彼女の身体に寄り添うように小さくしまたときには壁から離れて身体をすっぽりと被うような大きさに拡大していたのだが、そのことで影に別人格のようなものを与えていた。これはおそらく彼女のトレードマークになっているちゃぶ台ダンスに見られる、分身と記憶というテーマの反復だろう。

 大野一雄が若き日に見た記憶のなかのアルヘンチーナとともに踊ったように、ちゃぶ台ダンスで扱われる記憶は、親族の記憶と(身体的に)結びついたダンサー自身のライフスパンを物差しとするものだが、穴居生活する古代人の感情生活を喚起する影の記憶は、周知のように、ラスコー洞窟の壁画の発見であるとか、天の岩戸神話であるとか、個人の人生をはるかに超え、芸能・芸術の起源とされるような長い記憶のスパンを持ったものである。しかしそれは、自然光が見せた「ひっそりかん」の影とは異なり、焚き火の炎や、人工の光によってあらしめられたものであり、いわば幻燈のなかに浮かびあがるかりそめの世界といえるだろう。そのことを木村は、無伴奏ソロの最後の場面で、床に置かれていた投光器を手にして、光の端に自分の顔を入れながら、壁や天井を光の穂先でひとなですることによって示した。いままで光によって照らされていた(視線によってまなざされていた)身体が、みずから光源となることによって(まなざす主体となることで)、おなじ場所を180度別の方向から構造化してみせたのである。ひとつの装置を、被写体とカメラの双方からとらたという意味で、これはすぐれて写真的な経験だと思うのだが、記憶に関していうなら、芸能・芸術の起源とされる長い時間のスパンを、いっきょに個人の身体へと引き戻すダイナミックな行為だったといえるのではあるまいか。

 高い喚起力をそなえた木村由のパフォーマンスに緊張感をもってこたえた長沢哲は、彼自身の打楽スタイルを保ちながらも、いまここで生まれるサウンドの即興性を前面に出す演奏をした。なかでもソロ演奏のなかに登場した、シンバル類を軽いタッチでひとつひとつ打っていくシークエンスは、おそらく「Fragments」の原点を確認するものだったろう。そしてそのあとにつづく長沢の声ともいうべき鉄琴のソロ。木村のダンスを前に、彼は自分自身を裸にする演奏をしたと思う。ふたりのデュオ・パフォーマンスは、投光器が大きな影を背後の壁に投影する洞窟のイメージのなか、赤い鼻緒の下駄を履いてつま先立ちする不安定さをキープしながら、ときおり下駄を強く床に打ちつけてダンスする木村と長沢の直接対話というより、長沢が彼ならではの長いシークエンスでダンスの背景を与えていく構成的な演奏となった。ゆっくりとした身ぶりの潮目を一気に変える木村の素早い動き、静かな雰囲気のなかで太鼓面をこする長沢のブラッシュ・ノイズなど、意識を覚醒させるサウンドや動きが印象的だった。最後の場面では、木組みの台をいったん高く掲げた木村が、そのまま後ろ手に肩のうえで支え、ドラムの前でゆっくりと身体を回転させたあと、入口のガラス扉のところまで歩いていき、そのまま外に消えていくという幕切れを作った。この晩、洞窟と化したライヴハウスのなかで、長沢哲は木村由のパフォーマンスの影のなかにおり、場そのものに影のように寄り添うサウンドを奏でたように思う。


※長沢 哲: Fragments vol.15 with 勝賀瀬司    
2012年12月16日(日)、開演: 7:30p.m.    
会場: 江古田フライング ティーポット    




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